本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧

チャールズ・A・リンドバーグ 「翼よ、あれがパリの灯だ」

いまや私は、私のうしろにある最後の橋を焼いた。嵐と暗黒の夜を飛ぶ間にも、私の心は本能的に——あたかも目に見えない綱が私をその海辺にむすびつけているかのように——北アメリカ大陸にかたくむすびつけられていた。まさかの場合には——もしも氷の張りつめた…

チャールズ・A・リンドバーグ 「翼よ、あれがパリの灯だ」

長途の飛行によって幾たびか危機に遭遇し、疲労しきった長時間を送ったあとでは、心も身も離れ離れになるように思われるが、やがてそれは、ときには完全に異なる要素でもあるかのように思われることがよくあり、あたかも肉体が心とのつながりはあるが、けっ…

チャールズ・A・リンドバーグ 「翼よ、あれがパリの灯だ」

私の心は操縦席をはぐれては、またもどる。私の目は閉じたり開いたり、そしてまた閉じたり。しかしおぼろげながら、私の助けにやって来ている新しい要素に気がつきはじめる。それは、私はどうも三つの個性、三つの要素からできあがっており、その各々が一部…

チャールズ・A・リンドバーグ 「翼よ、あれがパリの灯だ」

セント・ルイス号は、すばらしい飛行機だ。まるで生きもののようだ——スムーズに、そして楽しむかのように空をすべる様子は、飛行の成功は私と同じように機の自分にとっても重要であり、われわれは一体となって経験を分ち合い、互いに美と生命と死を相手の忠…

トーベ・ヤンソン 「島暮らしの記録」

わたしたちは島の変貌に浮かれ、期待に胸を踊らせ、見境もなく雪の中を走りまわり、航路標識に雪玉をぶつけた。トゥーティは鼻づらを反らせた橇を薄い羽板で造り、わたしたちは岩山の頂上から凍った海をめがけて何度も滑りおりた。 はしゃぐのに飽きてしまい…

トーベ・ヤンソン 「島暮らしの記録」

クンメル岩礁の灯台守になろうと決意したとき、わたしは小さな子どもだった。じっさいには細く長い光を発するだけの灯台しかなかったので、もっと大きな灯台を、フィンランド湾東部をくまなく見渡して睨みをきかす立派な灯台を建てようと計画を練った——つま…

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 「森の生活—ウォールデン—」孤独

わたしは、大部分のときを孤独ですごすのが健全なことであるということを知っている。最も善い人とでもいっしょにいるとやがて退屈になり散漫になる。わたしは独りでいることを愛する。わたしは孤独ほどつき合いよい仲間をもったことがない。われわれはたい…

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 「森の生活—ウォールデン—」より高い法則

想像を反発させないほど単純で清潔な食事を提供し料理することはむずかしいことである。しかし、われわれが肉体に給食するときにはこの想像にも給食すべきであるとわたしはかんがえる。この二つは同じ食卓に座るべきである。だが、このことはたぶん可能であ…

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 「森の生活—ウォールデン—」より高い法則

もし昼と夜とが歓びをもって迎えられるようなものであり、生活が花や匂いのよい草のように香りをはなち、より弾みがあり、より星のごとく、より不朽なものであったら——それが君の成功なのだ。すべての自然は君に対する祝賀であり、君は自らを祝福すべき理由…

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 「森の生活—ウォールデン—」むすび

わたしは森にはいったのと同じぐらいもっともな理由があってそこを去った。どうも、わたしには生きるべき幾つかの別の生活があって、そこの生活にはこれ以上時間をさくことができないような気がしたからであろう。われわれが一つの特殊な筋道にどんなに容易…

名本光男 「ぐうたら学入門」第1章

就学前の子どもたちにとって、一番大事なのは「いま」。いま楽しく遊べるか、いまどれだけ気持ちよく寝られるか、いまどれだけおいしく食べられるか。彼らにとってそれが最大の関心事なのだ。だから、「明日」でさえ「いま」ではないという点で、「来週」「…

名本光男 「ぐうたら学入門」第2章

人類学の研究では、人間の生活パターンを「タイム・ミニマイザー」と「エナジー・マキシマイザー」という二つの類型に分けることができるという説が提唱されている。 タイム・ミニマイザーとは、食糧を手に入れるのにかける時間を最小限にして、残りの時間を…

太宰治 「人間失格」第一の手記

めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分に不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ…

スコット・フィッツジェラルド 「グレート・ギャツビー」第3章

彼はとりなおすようににっこり微笑んだ。いや、それはとりなおすなどという生やさしい代物ではなかった。まったくのところそれは、人に永劫の安堵を与えかねないほどの、類い稀な微笑みだった。そんな微笑みには一生のあいだに、せいぜい四度か五度くらいし…

スコット・フィッツジェラルド 「グレート・ギャツビー」第8章

電話はかかってこなかったけれど、執事は居眠りもせず、四時まで律儀に電話を待っていた。仮にメッセージが来たとところで、それを伝える相手が存在しなくなってしまってからも、まだ延々と待ち続けていたわけだ。僕は思うのだが、そんな電話がかかってくる…

スコット・フィッツジェラルド 「グレート・ギャツビー」第9章

「友情とは相手が生きているあいだに発揮するものであって、死んでからじゃ遅いんだということを、お互いに学びましょうや」と彼は意見を述べた。「死んだ人間はただそっとしておけというのが、あたしのルールです」 村上春樹 訳

村上春樹 「ノルウェイの森」第3章

永沢という男はくわしく知るようになればなるほど奇妙な男だった。僕は人生の過程で数多くの奇妙な人間と出会い、知り合い、すれちがってきたが、彼くらい奇妙な人間にはまだお目にかかったことはない。彼は僕なんかはるかに及ばないくらいの読書家だったが…

サンドロ・ペンナ (須賀敦子「時のかけらたち」より)

Io vorrei vivere addormentado entro il dolce rumore della vita. ぐっすりと ねむったまま 生きたい 人生の やさしい 騒音に かこまれて。 須賀敦子 訳

ニコラス・G・カー 「クラウド化する世界」第6章

しかしワールドワイドウェブは、バーナーズ=リーが意図し、多くの人々が切望したものとは全く異なっていた。テキストの表示だけではなく、画像の表示やトランザクション処理も行える汎用媒体を作ったことによって、ウェブはインターネットを知的集会所から営…

ニコラス・G・カー 「クラウド化する世界」第7章

これらの事業が実証しているのは、経済学者が「規模に対して収穫逓増」と呼ぶ、通常とは異なる経済的行動である。要するに、多く売れば売るほど、より儲かる、という意味だ。その原動力は、産業界で優勢な力とは全く異なるものである。なぜなら、往来のビジ…

ニコラス・G・カー 「クラウド化する世界」第7章

ここで、ユーチューブの事例をもっと詳しく見てみよう。ユーチューブは、放映している何十万タイトルものビデオに一セントも払っていない。すべての制作コストは、サービスのユーザーが負担している。ユーザーはディレクター、制作者、執筆者、役者であり、…

ニコラス・G・カー 「クラウド化する世界」第8章

物理的な形状を失ってインターネットに軸足を移してしまうと、情報媒体としての、また事業としての新聞の性格は変わってしまう。新聞は異なる方法で読まれ、異なる方法で金を儲けることになる。・・・ 新聞がオンラインへ移行すると、このまとまりはバラバラ…

ニコラス・G・カー 「クラウド化する世界」第10章

人々がオンラインに費やす時間が増えれば増えるほど、データベースに人生や欲望の詳細を詰め込めば詰め込むほど、ソフトウェアプログラムはますます巧みに、人々の行動の微妙なパターンを発見して利用できるようになる。そのプログラムを利用する人間や組織…

ニコラス・G・カー 「クラウド化する世界」第11章

「我々全員の内面で、複雑で内的な濃密さが、新しい自己に置き換わっている。それは、情報過多のプレッシャーと"何でもすぐに使えるようにする"技術の下で形成された自己である」。我々は「濃密な文化的遺産でできた精神的レパートリー」を捨てて空っぽにし…

ニコラス・G・カー 「クラウド化する世界」エピローグ

「ロウソクの弱々しい光の中では、周囲の物が全く異なる、より際立った輪郭を見せることに私たちは気付いた。ロウソクの炎は、物に"現実味"を与えるのだ」この現実味は「電灯では失われてしまった。(一見すると)物はよりはっきりと見えるようだが、現実味と…

シュテファン・ツヴァイク 「人類の星の時間」序文

どんな芸術家もその生活の一日の24時間中絶えまなく芸術家であるのではない。彼の芸術創造において成就する本質的なもの、永続的なものは、霊感によるわずかな、稀な時間の中でのみ実現する。それと同様に、我々があらゆる時間についての最大の詩人と見なし…

工藤直子 「ねこはしる」

「いや ちがうんだラン!よく聞いて きみになら……ともだちのきみになら 〈たべられる〉のじゃなく 〈ひとつになる〉気がするんだ おれ アタマも ひれも 心も きみに しっかりとたべてもらいたい そうすることで おれ きみに ……きみそのものに なれると思う …

ヘルマン・ヘッセ 「人は成熟するにつれて若くなる」V.ミヒェルス編

五十歳になると人はそろそろ、ある種の子供っぽい愚行をしたり、名声や信用を得ようとしたりすることをやめる。そして自分の人生を冷静に回顧しはじめる。彼は待つことを学ぶ。彼は沈黙することを学ぶ。彼は耳を傾けることを学ぶ。そしてこれらのよき賜物を…

ヘルマン・ヘッセ 「人は成熟するにつれて若くなる」V.ミヒェルス編

自然の生命のある現象が私たちに語りかけ、その真実の姿を見せてくれるこのような瞬間を体験すると、私たちが十分年をとっている場合には、喜びと苦しみを味わい、愛と認識を体験し、友情と愛情をもち、書物を読み、音楽を聴き、旅行をし、そして仕事をして…

ヘルマン・ヘッセ 「人は成熟するにつれて若くなる」V.ミヒェルス編

私たち老人がこれをもたなければ、追憶の絵本を、体験したものの宝庫をもたなければ、私たちは何であろうか!どんなにつまらなく、みじめなものであろう。しかし私たちは豊かであり、使い古された身体を終末と忘却に向かって運んで行くだけでなく、私たちが…