本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

スコット・フィッツジェラルド 「グレート・ギャツビー」第8章

  電話はかかってこなかったけれど、執事は居眠りもせず、四時まで律儀に電話を待っていた。仮にメッセージが来たとところで、それを伝える相手が存在しなくなってしまってからも、まだ延々と待ち続けていたわけだ。僕は思うのだが、そんな電話がかかってくるとはギャツビー自身もう期待していなかったし、かかってきてもこなくても、どちらでもかまわないという気になっていたのではあるまいか。もしそうだったら、かつての温もりを持った世界が既に失われてしまったことを、彼は悟っていたに違いない。たったひとつの夢を胸に長く生きすぎたおかげで、ずいぶん高い代償を支払わなくてはならなかったと実感していたはずだ。彼は威嚇的な木の葉越しに、見慣れぬ空を見上げたことだろう。そしてバラというものがどれほどグロテスクなものであるかを知り、生え揃っていない芝生にとって太陽の光がどれほど荒々しいものであるかを知って、ひとつ身震いしたことだろう。その新しい世界にあってはすべての中身が空疎であり、哀れな亡霊たちが空気のかわりに夢を呼吸し、たまさかの身としてあたりをさすらっていた……ちょうどまとまりなく繁った木立を抜けて彼の方に忍び寄る、灰をかぶったような色合いの奇怪な人影のごとく。

 

村上春樹 訳