本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

ニコラス・G・カー 「クラウド化する世界」第8章

物理的な形状を失ってインターネットに軸足を移してしまうと、情報媒体としての、また事業としての新聞の性格は変わってしまう。新聞は異なる方法で読まれ、異なる方法で金を儲けることになる。・・・
新聞がオンラインへ移行すると、このまとまりはバラバラになる。・・・読者は興味のある記事に直行して、その他は無視することもしばしばである。・・・新聞社にとっても、一つのまとまりとしての新聞の重要性はますます低減している。重要なのは部分である。それぞれの記事は別個の商品となって、むきだしのまま市場に並ぶ。記事の評価は、その経済的価値によって決まるのである。・・・
経済的に言うと、最も成功した記事とは、多くの読者を引き付けるだけでなく、高額な広告を取れるテーマを扱った記事なのである。つまり、最も成功した記事とは、料金の高い広告をクリックしてくれる読者を大勢引き付けた記事なのである。・・・

コンテンツのバラ売りは、新聞その他の印刷出版物に限ったことではない。大部分のオンラインメディアに共通する特徴である。

経済専門家は早速、メディア商品が部分に分解されたことを賞賛している。彼らの見方によれば、そのようにこそ市場は動くべきなのである。消費者は欲しくもないものにお金を"浪費"する必要もなく、本当に欲しいものだけを買うことができるだろう。『ウォールストリート・ジャーナル』は「もはや、良いものを手に入れるためにクズに金を払うようなことは必要のない」新しい時代を宣言するものだとして、この進歩を称賛した。この見方は多くの場合正しいだろうが、あらゆる点で正しいわけではない。独創的な商品は他の消費財とは異なる。他の市場では歓迎される経済効率も、文化を築くための礎に適用する場合には、あまり有益な影響は及ぼさないだろう。そしてインターネットという特異な市場では、あらゆる種類の情報が無料で配られる傾向があり、お金は広告のような間接的な手段で儲けられているということを覚えておくべきだろう。このような市場で、いったん視聴者と広告の両方を細分化すると、ある種の創造的な商品を生産するために多額の投資をすることがビジネス的に正しいかどうかを判断するのは、ますます難しくなってしまう。
もしニュース産業が時代の流れを暗示しているとしたら、我々の文化から淘汰される運命にある"石屑"には、多くの人々が「優れたもの」と判断するような産物も含まれてしまうだろう。犠牲になるのは、平凡なものではなく、質の高いものだろう。ワールドワイドコンピュータが作り出した多様性の文化は、じつは凡庸の文化であることがいずれわかるだろう。何マイルもの広がりがありながら、わずか一インチの深さしかない文化だ。


インターネットは情報収集からコミュニティづくりに至るまで、あらゆることを簡単な処理に変えて、大抵のことはリンクをクリックするだけで表面できるようになった。そうした処理は、一個一個は単純でも、全体としては極めて複雑だ。我々は一日に何百何千というクリックを意図的に、あるいは衝動的に行っているが、そのクリックのたびに、自分自身のアイデンティティや影響力を形成し、コミュニティを構築しているのだ。我々がオンラインでより多くの時間を過ごし、より多くのことを実行するにつれて、そのクリックの複合が、経済、文化および社会を形作ることになるだろう。
クリックがもたらす結果が明らかになるまでには長い時間がかかるだろう。しかし、インターネット楽観主義者が抱きがちな希望的観測、すなわち「ウェブはより豊かな文化を創造し、人々の調和と相互理解を促進するだろう」という考えを懐疑的に扱わなければならないのは明らかだ。文化的不毛と社会的分裂もまた、等しくあり得る結果なのだ。

村上彩 訳

*社会的分裂→ネットユーザーは自分の見解を裏付ける情報を収集したり、価値観の似かよった人との交流を求めがちであり、結果、より極端に走る傾向にあることが指摘されている。