本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

ニコラス・G・カー 「クラウド化する世界」第10章

  人々がオンラインに費やす時間が増えれば増えるほど、データベースに人生や欲望の詳細を詰め込めば詰め込むほど、ソフトウェアプログラムはますます巧みに、人々の行動の微妙なパターンを発見して利用できるようになる。そのプログラムを利用する人間や組織は、人々が何を求め、何を動機とし、さまざまな刺激に対してどのように反応するかを識別できるようになるだろう。プログラムを利用する側は、まさにぴったりの決まり文句を使うなら、我々が知る以上に、我々のことを知っているのである。
  ワールドワイドコンピュータは、自己表現と自己実現のための新たなチャンスとツールをもたらすと同時に、一部の人々には前例のない能力を与えている。それは、他人の考え方と行動に影響を与えて、その関心と行動を自分たちの目的に沿うように収斂させる能力である。テクノロジーには、解放してコントロールするという、相反する特質がある。その特質の間に生じる緊張がいかに解決されるかによって、テクノロジーが社会と個人にもたらす最終的な結果は概ね決まるだろう。

 

  ギャロウェーが言うように、以前はつながれていなかったコンピュータを厳格なプロトコルによって支配されているネットワークにつなげることは、実際には「新たな支配装置」を作り上げてしまった。「ネットの設立原理は"支配"であって"自由"ではない。最初から支配は存在していたのである」。本質的に異なるワールドワイドウェブのページが、ワールドワイドコンピュータの一元的でプログラミング可能なデータベースに変化するにつれて、さらに強力な新しい種類の支配が可能になっている。プログラミングは結局、支配の手段以外の何者でもないのである。技術的には、インターネットがまだセンターを有していない場合であっても、いまやソフトウェアコードを通じてどこからでも支配を行使することができる。現実世界と比較して異なる点は、支配的行動を感知することはより難しく、支配する者を認識することもより難しいということである。

 

  結局、我々自身も、インターネットが可能にした個人化から利益を得ている。インターネットは我々を完璧な消費者兼労働者としたのだ。我々は、より大きな便宜のために、より大きな支配を受けている。クモの巣は我々にぴったりと合っていて、捕まっていても結構快適なのである。

村上彩 訳