本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

アーシュラ・K. ル=グウィン「ファンタジーと言葉」

    話し言葉は、最も特別に人間的な音であり、最も重要な種類の音であって、単なる景色であることは決してなく、常に出来事である。

  ウォルター・オングは言う。「音は、それが消えようとするときにしか存在しない」。これは単純だけれども非常に複雑な陳述である。同じことを生について言うこともできるだろう。生は、それが消えようとするときにしか存在しない。

  ある本のページの上に印刷されている、「存在」という言葉について考えてみよう。それはそこに鎮座している。言葉全体が一時に、二つの文字が、白地に黒く、おそらく何年もの間、何世紀もの間、おそらく世界中の何千冊という本のなかに鎮座しているのだ。

  それでは、この言葉を口にしながら考えてみてほしい。「存在」。「在」と言うときにはすでに「存」は消えてしまっているし、今やすべてが消えてしまった。もう一度言うことはできるが、それは新しい別の出来事だ。

  聞き手に向かってある言葉を話すとき、話すことは一つの行為である。そしてそれは相互的な行為なのだ。聞き手が聞いていることが、話し手が話すことを可能にする。それは共有された出来事であり、相互主観的なものである。聞き手と話し手は互いに同調する。どちらのアメーバも等しく責任を持ち、等しく肉体的に、直接的に、自分たちの断片を共有しあうことに関わっている。話す行為は今起こっている。そして二度と取り消すことも、くり返すこともできないような仕方で終わってしまったのだ。

 

青木由紀子 訳