ヘルマン・ヘッセ 「人は成熟するにつれて若くなる」V.ミヒェルス編
五十歳になると人はそろそろ、ある種の子供っぽい愚行をしたり、名声や信用を得ようとしたりすることをやめる。そして自分の人生を冷静に回顧しはじめる。彼は待つことを学ぶ。彼は沈黙することを学ぶ。彼は耳を傾けることを学ぶ。そしてこれらのよき賜物を、いくつかの身体的欠陥や衰弱という犠牲を払って得なくてはならないにしても、彼はこの買い物を利益と見なすべきである。
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私は死にあこがれる。しかし、それは早すぎる死や、成熟しないうちに死ぬことではない。そして成熟と知恵をもとめるあらゆる欲望の中で、私はまだ人生の甘美で陽気な愚かさにすっかり夢中になっている。愛する友よ、私たちはみな、すばらしい知恵と甘美な愚かさをどちらも手に入れたいと望む!私たちはこれからも何度もともに前進し、ともにつまずこう。どちらもすばらしいことではないか。
老いること
こういうことだ 老いることは かつての喜びが
苦労となり 泉も濁って出が悪くなる
その上苦痛さえも風味がなくなる——
人は自ら慰める 間もなくすべて終わりになると
私たちが昔あんなに強く拒絶した
束縛と重荷と負わされたもろもろの義務が
逃避の場となり慰めになってしまった
人はやはりまだ日々のつとめを果たしたいと思う
だがこのささやかな慰めも長くは続かない
魂は空を飛ぶ翼を渇望する
魂は自我と時間のはるかかなたに死を予感する
そして死をむさぼるように深々と吸い込む
岡田朝雄 訳