本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

2017-11-01から1ヶ月間の記事一覧

サン=テグジュペリ 「星の王子さま」

「じぶんのものにしてしまったことでなけりゃ、なんにもわかりゃしないよ。人間ってやつぁ、いまじゃ、もう、なにもわかるひまがないんだ。あきんどの店で、できあいの品物を買ってるんだがね。友だちを売りものにしているあきんどなんて、ありゃしないんだ…

サン=テグジュペリ 「星の王子さま」

きみの住んでるとこの人たちったら、おなじ一つの庭で、バラの花を五千も作ってるけど、……じぶんたちがなにがほしいのか、わからずにいるんだ」と、王子さまがいいました。 「うん、わからずにいる……」と、ぼくは答えました。 「だけど、さがしてるものは、…

星野道夫 「長い旅の途上」

五年前、アラスカで死んだ友人のカメラマンの灰を、一本のトウヒの木の下に仲間で埋めたことがある。そこはマッキンレー山に近い、イグルーバレイと呼ばれる谷だった。灰を埋めた小さな丘から、トウヒの森が見渡せた。彼が一番好きな場所だった。 この世に生…

星野道夫 「長い旅の途上」

私たちは、二つの時間を持って生きている。カレンダーや時計の針に刻まれる慌ただしい日常と、もう一つは漠然とした生命の時間である。すべてのものに、平等に同じ時間が流れていること……その不思議さが、私たちにもう一つの時間を気付かせ、日々の暮らしに…

星野道夫 「長い旅の途上」

私たちが生きていくということは、だれを犠牲にして自分が生き延びるか、という日々の選択である。生命体の本質とは他者を殺して食べることにあるからだ。それは近代社会が忘れていった血のにおいであり、悲しみという言葉に置き換えてもいい。その悲しみを…

村上春樹 「国境の南、太陽の西」

「雨が降れば花が咲くし、雨が降らなければそれが枯れるんだ。虫はトカゲに食べられるし、トカゲは鳥に食べられる。でもいずれはみんな死んでいく。死んでからからになっちゃうんだ。ひとつの世代が死ぬと、次の世代がそれにとってかわる。それが決まりなん…

G.ガルシア=マルケス「予告された殺人の記録」

「さあ」と彼は、怒りに身を震わせながら言った。「相手が誰なのか教えるんだ」 彼女は、ほとんどためらわずに、名前を挙げた。それは、記憶の闇の中を探ったとき、この世あの世の人間の数限りない名前がまぜこぜになった中から、真っ先に見つかったものだっ…

ルイス・セプルベダ 「センチメンタルな殺し屋」

人間の顔はけっしてうそをつかない。われわれがこれまで身を置いたすべての場所が残らず書き記されている唯一の地図なのだ。 杉山晃 訳

ノーム・チョムスキー 「人類の未来」より

ヒトラーがポーランドを侵略した際に使ったのが「自衛」という理由でした。「無謀なポーランドのテロ行為」からドイツを「自衛」するということだった。チンギス・カンもおそらく、自分の行為は「自衛」だと言ったでしょう。「自衛」という言葉は無意味です…

レイ・カーツワイル 「人類の未来」より

もちろん、人間と同様、コンピュータの能力も無限ではありません。そのように見えるかもしれないけれども、データすべてを記憶するわけではない。知性の特性の一つとして、情報の取捨選択ということがあります。そうしなければ押し寄せる情報の波にのまれて…

レイ・カーツワイル 「人類の未来」より

民主主義そのものが、コミュニケーション・テクノロジーの発達によって直接支えられていると言えます。コミュニケーション手段として、本の印刷が可能になり、電話が出てきて初めて、最初の近代的なデモクラシーが出現しました。100年前、世界中の民主主義国…

シモーヌ・ヴェイユ 「重力と恩寵」自我

不幸の淵に沈み、あらゆる執着が断たれても、生命維持の本能は生きのびて、どこにでも巻きひげを絡ませる植物よろしく、支えとなりそうなものに見境なくしがみつく。かかる状況にあっては、感謝(低劣な次元のものはいざ知らず)や公正は思念にすらのぼるまい…

シモーヌ・ヴェイユ 「重力と恩寵」不幸

わたしは自身の苦しみを愛さねばならない。有益だからではなく、そこに在るからだ。 冨原真弓 訳

シモーヌ・ヴェイユ 「重力と恩寵」愛

眼のまえに、全世界を、全生命を所有していることを忘れるな。おまえにとっての生命は、ほかのいかなる人間にとってよりも、実在的で、充溢し、晴朗たりうるし、また、そうあらねばならない。いかなる放棄によってもあらかじめ生命の十全性をそこなうな。い…

シモーヌ・ヴェイユ 「重力と恩寵」偶然

星辰と花咲く果樹。完璧な恒久性と極度のはかなさは、ひとしく永遠の感覚を与える。 冨原真弓 訳

シモーヌ・ヴェイユ 「重力と恩寵」宇宙の意味

執着を断つのではない。執着の対象を変える。森羅万象に執着するのだ。 憎んでいるものをやがては愛せるかもしれない。とことん憎悪を味わいつくす。憎んでいるものを知りつくすこと。 冨原真弓 訳

シモーヌ・ヴェイユ 「重力と恩寵」代数学

現代世界の頽廃の特徴のひとつは、努力と努力の成果をむすぶ関係性を具体的に思考できないことだ。これを忘れてはならない。介在物が多すぎる。他の場合とおなじく、関係性は思考ではなく事象のなかにやどる。すなわち金銭のなかに。 冨原真弓 訳

シモーヌ・ヴェイユ 「重力と恩寵」「社会の烙印を......」

抑圧も一定の段階をこえると、権力者はその奴隷たちから必然的に崇拝されるにいたる。絶対的な強制のもとで他者の玩具になりはてたと考えるのは、人間にとっては堪えがたい。だから、強制をまぬかれる手段がすべて奪われている以上、強制的にさせられている…

シモーヌ・ヴェイユ 「重力と恩寵」労働の神秘

人間の偉大さとはつねにおのれの生を創りなおすことだ。与えられたものを創りなおす。意に反してこうむるものをすら鍛えあげる。労働を介しておのれの本来的な実存を生み出す。科学を介して象徴群を手段に宇宙を創りなおす。芸術を介しておのれの身体と魂と…

スベトラーナ・アレクシエービッチ 「チェルノブイリの祈り」第3章

それが起きたのは金曜日の夜から土曜日にかけてのことです。朝、だれもなにひとつ疑ってみませんでした。私は息子を学校におくりだし、夫は床屋に行きました。昼食のしたくをします。まもなく夫が帰ってきて「原発が火事らしい。ラジオを消すなという命令だ…

スベトラーナ・アレクシエービッチ 「チェルノブイリの祈り」第3章

農村の人たちがいちばんきのどくです。なんの罪もないのに苦しんでいる、子どものように。チェルノブイリを考えだしたのはお百姓じゃない、彼らは自分たちなりに自然とかかわってきたんですから。それは100年も1000年も昔そのままの、信頼に満ちたもちつもた…

スベトラーナ・アレクシエービッチ 「チェルノブイリの祈り」第3章

最初の数日、いろんな感情が混じりあっていました。いちばん強かった二つの感情を覚えています。恐怖といらだちです。すべては起こってしまったのに、情報はいっさいありませんでした。政府は沈黙し、医者はひとことも語ろうとしません。地区では州からの指…

スベトラーナ・アレクシエービッチ 「チェルノブイリの祈り」第3章

核戦争にそなえての通達には、核事故、核攻撃のおそれがあるときにはただちに住民に対してヨウ素剤処置をとるように指示されています。おそれがあるときだって?当時、毎時3000マイクロレントゲンもあったのに。連中が心配しているのは住民のことじゃない、…

エマニュエル・トッド 「問題は英国ではない、EUなのだ」

なぜ知的なエラーが起きるのか?いきなり「人間とは何か?」と自問して、観念から出発するから歴史を見誤ってしまうのです。そうではなく、まず無心で歴史を見る。すると、むしろ歴史の方が「人間とは何か?」という問いに答えてくれます。何よりも歴史を観察…

エマニュエル・トッド 「問題は英国ではない、EUなのだ」

価値観の伝達の問題に戻りますが、私も当初は、親が子供に教え込むことを通して価値が伝達されるという精神分析学的モデルに則っていました。子供の無意識の中にハンマーで叩き込まれるような「強い価値」によって価値の伝達が維持される、と考えていたので…

エマニュエル・トッド 「問題は英国ではない、EUなのだ」

こうして、好きとか嫌いとか、良いとか悪いとかいったア・プリオリな思い入れから自由な観察者でいるとき、表面的には複雑きわまる歴史的現実の中に非常に単純な一種の法則のようなものが見えてくることがあるのです。 私がこれは実際そうに違いないと見抜い…

パスカル 「パンセ」ブランシュヴィック版 72

我々の感覚は、極端なものは何も認めない。あまりに大きい音は、我々をつんぼにする。あまりに強い光は、目をくらます。あまり遠くても、あまり近くても、見ることを妨げる。・・・すなわち、両極端な現象は、我々にとっては、あたかもそれが存在していない…

パスカル 「パンセ」ブランシュヴィック版 72

このように全ての事象は、引きおこされ引きおこし、助けられ助け、間接し直接するのであり、そして全てのものは、最も遠く、最も異なるものをもつなぐ、自然で感知されないきずなによって支えあっているので、全体を知らないで各部分を知ることは、個別的に…

パスカル 「パンセ」ブランシュヴィック版 135

人は、いくつかの障害と戦うことによって安息を求める。そして、もしそれらを乗り越えると、安息は、それが生み出す倦怠のために堪えがたくなるので、そこから出て、激動を請い求めなければならなくなる。なぜなら、人は今ある悲惨のことを考えるか、我々を…

パスカル 「パンセ」ブランシュヴィック版 152

好奇心は、虚栄にすぎない。たいていの場合、人が知ろうとするのは、それを話すためでしかない。さもなければ、人は航海などしないだろう。それについて決して何も話さず、ただ見る楽しみだけのためで、それを人に伝える希望がないのだから。 前田陽一 責任…