本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

モーム「サミング・アップ」

  第一に、美は終止符だと分かった。美しいものを見ていると、私はただただ感心して眺めているしかないのだった。それが与えてくれる感動は素晴らしいが、感動は持続しないし、無限に感動を繰り返すことも出来なかった。それで、この世の最高に美しいものも結局私を退屈させた。試作品からならもっと長続きする満足が得られるのに気付いた。完璧な出来ではないので、却って私が想像力を働かせる余地があった。あらゆる芸術作品の中で最高の作品においては、あらゆるものが表現されているので、私が出来ることは何もない。そこで私は落ち着きを失い、受身で眺めているのに飽きてしまう。美は山の頂上のようだと思った。そこまで辿り着いたら、後は下りるしかない。完璧というのはいささか退屈である。誰もが目標としている最高の美は完璧に達成されないほうがいいというのは、人生の皮肉の中でもかなりひどいものだ。

 

行方昭夫 訳  

モーム「サミング・アップ」

真実とはそれほど大袈裟な価値ではなく、個々の存在物について何事かを主張するに過ぎない。ただ事実をそのまま述べるだけである。

 

人間は自分の虚栄心、快適さ、利益のために真実を犠牲にしてきた。人は真実ではなく偽りによって生活している。私は時どき思うのだが、いわゆる理想主義とは、人が自惚れを満足させるために作り出したフィクションに真実の威光を与えようとする努力に過ぎないのではなかろうか。

 

行方昭夫 訳 

モーム「サミング・アップ」

  私はいつも未来に向かって生きてきたので、未来が短くなった今も、その習慣から抜け出せないでいる。そして何年後かははっきり知らぬが、やがて私の目論んだ人生模様が完成するのを平静な気持で待っている。時には衝動的に死にたいという願望を覚えることもあり、その瞬間には愛する人の胸に飛び込んで行くように死にたくなる。かつて生が私に与えたのと同じ強烈なスリルを、今の私に死が与えるのだ。死を思うと、酔い心地になる。そういうときは、死が最後の絶対的な自由を与えてくれるような気がする。それにも拘わらず、医師が私を我慢できる健康状態に保ってくれる間は喜んで生き続けて行こうと思う。世の中の動きを眺めるのが楽しみだし、これから何が起こるかに関心がある。

 

行方昭夫 訳 

モーム「サミング・アップ」

完全な一生——人生模様の完成——のためには、若さ、壮年だけでなく、老年も入れなくてはならないのだ。朝の美、昼の輝きもよいが、夕べの静寂を締め出すためにカーテンを閉め、明かりをつける者がいるとしたら、実に愚かである。老年には楽しみがあり、その楽しみは若い頃の楽しみとは違うけれど、決してそれに劣るものではない。

 

行方昭夫 訳  

モーム「サミング・アップ」

人間というものは誰しも相互に矛盾する複数の分身を束ねた存在かもしれないが、作家、画家は特にそのことに気付いている。一般人の場合は、送っている人生によって分身の一つが支配的なものとなり、意識下での心理を無視すれば、最後には一つの分身が全人格になる。ところが、画家、作家、聖人は常に自分の内奥を覗き込み、新しい分身を探す。同じ自分の繰り返しを嫌い、我知らず、一つの分身にならぬように努力するのである。芸術家が自己矛盾のない、首尾一貫した人間になる機会はない。

 

行方昭夫 訳  

モーム「サミング・アップ」

作家は、他の人もそうだろうが、試行錯誤によって学ぶ。初期の作品は習作であり、作家は様々な主題や様々な手法を試し、同時に自分の性格を涵養するのである。その過程で作家は自己発見をする。発見した自分こそ作品において展開すべきものであり、やがてこの発見を最大限立派に見せる術を学ぶ。それから自分の持てる才能の全てを動員して、可能な限り最上の作品を生み出すのである。書くというのは健康的な職業なので、最高傑作を出した後も多分長生きするであろう。そのときまでには書くことがすっかり身についているので、多分あまり意味のない作品を書き続けるであろう。こういう作品を読者は当然無視してよい。読者の立場からすれば、作家が生涯にわたって生み出すもののうちで、必要欠くべからざるものはごく僅かである。

 

行方昭夫 訳 

モーム「サミング・アップ」

  その一方、二度読んだ本はほとんどない。一度読んだだけでは全てを味わえない書物がたくさんあるのは知っているが、一度読んだときに吸収できるものは全て吸収したのであり、それこそが、たとえ細部は忘れても永遠の財産として自分に残るのだ。世の中には同じ本を繰り返し読む人もいる。こういう連中は目で読むに過ぎないのであって、感性は用いているはずがない。機械的な読み方で、チベット人が祈り車を回しているようなものだ。むろん、無害な作業であるが、知的な作業だと思うのは誤解というものである。

 

行方昭夫 訳

モーム著「人間の絆」の中に、同じ本を繰り返し読む友人に対して、それはひどく手の込んだ怠慢だ、と批判する人物が登場する。  

モーム「サミング・アップ」

  私は皮肉屋だと言われてきた。人間を実際よりも悪者に描いていると非難されてきた。そんなことをしたつもりはない。私のしてきたのは、ただ多くの作家が目を閉ざしているような人間の性質のいくつかを、際立たせただけのことである。人間を観察して私が最も感銘を受けたのは、首尾一貫性の欠如していることである。首尾一貫している人など私は一度も見たことがない。同じ人間の中にとうてい相容れないような諸性質が共存していて、それにも拘わらず、それらがもっともらしい調和を生み出している事実に、私はいつも驚いてきた。

 

行方昭夫 訳  

モーム「サミング・アップ」

美文を書こうなどとは少しも考えなくなっていたのだ。文章を飾るのがいやになり、可能な限り気取らずに素朴に書きたいと願うようになっていた。頭の中に書きたいことがいくらでもあるので、無駄な言葉を使う余裕などなかった。事実を書くことしか念頭になかった。形容詞はいっさい使わないという、あり得ぬような目標を持って書き出した。ちょうどピッタリの語が見付かれば、それを形容する語はなくても済むと考えた。私が心に描いたのは、極めて長い電報のような体裁の小説だった。それは、料金の節約のために、意味を明確にするのに不要な全ての語を省いた電報と同じだ。

 

行方昭夫 訳  

スタンダール「赤と黒」

《おれは真実を愛した……それはどこにあるのだ?……どこを見ても偽善ばかり、少なくともぺてんばかりだ。どんな碩徳の士も、どんな偉人も、例外ではない》ジュリアンの唇は嫌悪の情にひきつった……《そうだ、人間は人間を信頼することができない。

 

大岡昇平・古屋健三 訳  

スタンダール「赤と黒」

  自然法などありはしない。そんな言葉は、このあいだおれを痛めつけた次席検事ぐらいが口にしそうな時代がかった世迷い言だ。あいつの祖先は、ルイ十四世時代の没収財産のおかげで金持ちになったんではないか。法というものは、かくかくのことをしてはならぬと、刑罰によって禁止する法規があって、はじめて成立するものだ。法規以前にみられる自然なものといえば、ライオンの力とか、あるいは腹をへらしたり、寒さにふるえている者の欲求とか、要するに一言でいえば、欲求だけなのだ……そうだ、世間の尊敬を集めているひとたちだって、運よく現行犯で逮捕されずにすんだ悪党にしかすぎない。社会がおれに向けて送った告訴者も、破廉恥な行為で金持ちになったのだ……おれは殺人罪を犯した。罰せられるのは当たり前だ。だが、この行ないひとつを別にすれば、おれに有罪を宣告したあのヴァルノのほうが、社会にとっては百倍も有害な奴なのだ》

 

大岡昇平・古屋健三 訳