本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

モーム「サミング・アップ」

人間というものは誰しも相互に矛盾する複数の分身を束ねた存在かもしれないが、作家、画家は特にそのことに気付いている。一般人の場合は、送っている人生によって分身の一つが支配的なものとなり、意識下での心理を無視すれば、最後には一つの分身が全人格になる。ところが、画家、作家、聖人は常に自分の内奥を覗き込み、新しい分身を探す。同じ自分の繰り返しを嫌い、我知らず、一つの分身にならぬように努力するのである。芸術家が自己矛盾のない、首尾一貫した人間になる機会はない。

 

行方昭夫 訳