スタンダール「赤と黒」
「そっとしておいてくれ、僕は現在申し分のない生活を送っているのだ。君らの瑣末な骨折り話や、みみっちい現実生活の話は、いずれにしろ僕にはうるさいばかりだし、天上から僕を引きずりおろすようなものだ。人間にはそれぞれちがった死にかたがある。僕は僕なりにしか死のことを考えたくない。他人がなんだ?僕と他人との関係などは、まもなくぶっつり断ち切られてしまうんだ。お願いだから、そんな奴らの話はもう二度としないでくれ。判事と弁護士の顔を見るだけで、もううんざりだ」
《けっきょく》と、ジュリアンは自身に言いきかせた。《夢見ながら死ぬのがおれの運命らしい。おれのような無名な人間は、二週間とたたないうちに忘れ去られてしまうにちがいないから、芝居をするなんてことは、はっきりいって、愚の骨頂だ……
しかし、生涯の幕がおりるまぎわになってから、人生を楽しむ法を会得するなんて、奇妙なことだ》
大岡昇平・古屋健三 訳
*死刑判決を待つジュリアンのもとに、友人や恋人がおしかける場面。
スタンダール「赤と黒」
野心が生み出したさまざまの望みを、《おれは死ぬのだ》という由々しい言葉で、ひとつひとつ心からもぎとらなければならなかった。死そのものは、とくに恐ろしいとは思わなかった。これまでの人生は、すべて不幸にたいする長い準備に費やされてきた。そんな彼が、不幸のなかの最大とされている死を忘却するはずはなかった。
大岡昇平・古屋健三 訳
スタンダール「赤と黒」
「少なくとも罪を犯すときぐらい、楽しんでやらなければ、意味がない。犯罪のいいところは、それだけなんですから。それにまた、犯罪をすこしでも正当化しようとすれば、理由はそれしかありません」
大岡昇平・古屋健三 訳
スタンダール「赤と黒」
《これで、おれの地位とまったく反対の側をみたわけだ。おれには、二十ルイの年収すらないのに、一時間に二十ルイも収入のある男ととなりあわせでいて、しかもそいつのほうが馬鹿にされたのだ……こんな光景を目撃すると、羨望の心も消えてしまう》
大岡昇平・古屋健三 訳
スタンダール「赤と黒」
「君の性格のなかには、少なくとも、わしにとっては定義しがたいなにかがある。そのために、君は出世しなければ、迫害されるだろう。君には、中庸の道はない。思い違いしてはいけない。話しかけても、君が喜ばないことを、他人は見ている。」
大岡昇平・古屋健三 訳
スタンダール「赤と黒」
「君の性格のなかには、少なくとも、わしにとっては定義しがたいなにかがある。そのために、君は出世しなければ、迫害されるだろう。君には、中庸の道はない。思い違いしてはいけない。話しかけても、君が喜ばないことを、他人は見ている。」
大岡昇平・古屋健三 訳
老子訳注
信言は美ならず、
美言は信ならず。
善なる者は辯ならず、
辯ずる者は善ならず。
知る者は博さず、
博す者は知らず。
聖人は積えず、
既く以て人の為にして己れは愈いよ有り、
既く以て人に与えては己れは愈いよ多し。
天の道は、
利して而うして害なわず。
聖人の道は、
為して而うして争わず。
真実のことばは美しくはなく、美しいことばは真実のことばではない。善き人はうまく話さず、うまく話す者は、善き人ではない。ほんとうにわかっている人はひけらかさず、ひけらかす人はほんとうはわかってはいない。「聖人」は何もたくわえず、ありったけの力を出して人を助けて、自分はかえっていっそう充実し、すべてを人に与えて、自分はかえっていっそう豊かになる。天の「道」は、万物に利益を与えて害なうことはない。「聖人」の「道」は、何をするにも人と争うことはない。
坂出祥伸・武田秀夫 訳
老子訳注
敢てするに勇なれば、則ち殺され、
敢てせざるに勇なれば則ち活く。
此の両つ者或は利あり或は害あり。
天の悪む所、
孰か其の故を知らん。
是を以て聖人すら猶之を難しとす。
天の道は
争わずして而も善く勝ち、
言わずして而も善く応え、
召かずして而も自ずから来、
のろのろとして而も善く謀る。
天網は恢恢、
疏にして而も失わず。
何ものをも顧みないで勇敢にやれば、殺されるだろう。勇敢に「進んではしない」ようにすれば、生きられるだろう。この二つの勇敢さの結果として、あるばあいには有利であるし、あるばあいには損害を受ける。天の嫌うことは、だれがそのわけを知ろう。こうしたわけで「聖人」もはっきり言いにくいのだ。天の「道」は争わずにうまく勝ち、ものを言わずにうまく答え、招かずにひとりでにやって来させ、ゆっくりしているがうまく計画を立てる。天の網はきわめて広大で、網の目はまばらだが、もれることはない。
坂出祥伸・武田秀夫 訳