本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

エマニュエル・トッド 「問題は英国ではない、EUなのだ」

  価値観の伝達の問題に戻りますが、私も当初は、親が子供に教え込むことを通して価値が伝達されるという精神分析学的モデルに則っていました。子供の無意識の中にハンマーで叩き込まれるような「強い価値」によって価値の伝達が維持される、と考えていたのです。しかし、学校、街、近所、企業など、家族よりも広い環境で、漠然とした軽い模倣プロセスによって再生産される「弱い価値」の伝達の方が、実は重要だったのです。たとえば、学校や地域社会の影響に抗して家族内だけで子供を教育しようとしても、その試みは初めから失敗する運命にあるのです。
  ここでの逆説は、「弱い価値」の伝達によって強いシステムが維持される、というところにあります。「場所の記憶」とは、この逆説にほかなりません。
  もし人々が「強い価値」を抱いているのなら、その人がどこに住もうともその価値観が維持されるはずですが、そうなってはいません。人々が抱いている価値観は実はそれほど強固ではないのです。人々の価値観がそれほど強固ではないからこそ、言い換えれば、人間が可塑的な存在だからこそ、場所ごとの価値観が永続化するのです。人が移住すれば、次第にその場所の新たな価値観を受け入れていくのです。
「場所の記憶」は、われわれを解放してくれる概念です。この概念によれば、人間をある不変の本質に閉じ込めることなしに、地域文化や国民文化の永続性を捉えられます。また、この概念は、「家族システム」という概念と矛盾するどころか、むしろそれを補完します。

 

堀茂樹 訳