本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

チャールズ・A・リンドバーグ 「翼よ、あれがパリの灯だ」

  私はついにパリ途上の、最初の短い海辺の上空にただひとりとなった。海面はおだやかである。水面の油のようになめらかな輝きの下には、少しもうごきらしいものは見えない。コネチカット川の岸まではわずかに三十五マイルだが、私はいままでこんな大きな川を越えたことはない。入江は歓迎する前触れの使者のように現れるが、同時に前途に横たわる一大帝国——人跡絶えた荒涼たる荒野、偉大な孤独、大洋の砂漠のようにな美を私に予告している。
  いま靄が私のうしろに濃く押し寄せ、ついに海岸線は見えなくなる。目のとどくかぎり船は一隻も見えない。ただ幾羽かの旋回する鷗や水面上に浮かぶ幾つかの漂流物が、陸地が近いのを示している。私はいま鏡のような海面上を私についてうごく靄のうず巻きのまっ只中にいる——灰色の靄が灰色の水と溶け合っているので、どこが海の果てなのか、どこが空のはじまりなのか皆目わからない。
  私は操縦席でくつろぐ——この布張りの小さな箱のなかで、私は大西洋横断をするのだ。万事が調子よくいったにしても、ル・ブールジュ飛行場のフランスの土を踏むまでは、私は一日半というものはこの小さな箱からうごけないのだ。一オンスの重さも抵抗もないように、きちんと私のまわりに合うように設計されているが、生きているにはとにかく窮屈な場所だ。胴体の両側は両ひじを張っただけでつき当たる。計器盤はちょっと手をのばしただけで届く。屋根の薄い肋骨のあいだから、わずかに私のヘルメットが出せるようになっている。これで十分余裕がある。これ以上の余裕は必要ない。しかしこれより狭くても困る。この操縦席は、一着の洋服のように私のからだにぴったりと作られたのだ。
  パイロットというものは、数千マイルを飛んではじめて機内でくつろげるものだ。はじめのうちは新しい家屋に引っ越したようだ。ドアの鍵もスムーズにすべり込まない。把手も電灯のスイッチも、手をおいたところにはない。階段も窮屈だし、窓は調子よく持ち上がらない。そのうち鍵も何回と使っているうちに急に調子がわかり、簡単に開くようになる。また把手やスイッチも、夜のまっ暗闇のなかでも指でさわっただけで用が足せるようになる。窓はちょっと押しただけで、するりと開く。
  カルフォルニアにおけるテスト飛行、南西部の砂漠と山脈の上空を飛んだ何時間かの夜間飛行、アレギニー山脈を越えてニューヨークにたちまち着いた空の旅などが、セント・ルイス号から真新しい感じをすべて取り去ってくれた。ダイアル一つ、レバー一つも、ちょっと見たり触れたりするにもちょうどよい場所にある。また、制動装置を軽く押しただけで、すぐに反応がある。耳も星型発動機のテンポに慣れた。それは計器盤の文字に歩調を合わせ、また霧が晴れるにつれて自信と希望への期待が生まれる。

佐藤亮一 訳