本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

シモーヌ・ヴェイユ 「重力と恩寵」自我

   不幸の淵に沈み、あらゆる執着が断たれても、生命維持の本能は生きのびて、どこにでも巻きひげを絡ませる植物よろしく、支えとなりそうなものに見境なくしがみつく。かかる状況にあっては、感謝(低劣な次元のものはいざ知らず)や公正は思念にすらのぼるまい。隷属。自由意志を支えるエネルギーの余剰量がたりない。この余剰のおかげで事象にたいして距離をおくことができるというのに。この局面から捉えられた不幸は、剥きだしの生のつねとして、切断された四肢の残滓や蠢き群れる昆虫にも似て、ぞっとするほどおぞましい。形相なき生。生きのびることが唯一の執着となる。いっさいの執着が生への執着に取って替わられるとき、極限の不幸が始まる。このとき執着は剥きだしで現われる。おのれのほかに対象がない。地獄である。
  この境界をふみこえ、ある期間その状態にとどまり、その後、なんらかの僥倖に恵まれたとき、そのひとはどうなるのか。この過去からどうやって癒やされるのか。
  かかる仕組ゆえに、「不幸な人びとにとって生ほど甘美に思えるものはない。たとえ彼らの生が死より好ましいとは思えぬときでさえも」。
  かかる状況で死を受け入れることは執着のまったき断念を意味する。

 

冨原真弓 訳