本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

タゴール「ギタンジャリ」

 

91

おお お前 生の最後の完成 死よ

わたしの死よ わたしに来て 囁いてくれ!

わたしは来る日も 来る日も お前を待ちうけ 見張っていた

お前のために 世の苦しみも 喜びも 堪えて来た。

わたしのすべての存在 所有 のぞみ 愛は

いつもお前に向って 秘かな深いところで 流れていた。

お前の眼からくる 最後の一べつによって

わたしのいのちは お前ものとなるだろう。

花は編まれ 花輪は 花婿のために 用意された。

結婚の式がすめば 花嫁は家をあとにし

夜のしじまに ただ一人 花婿に逢うであろう。

 

 

高良とみ 訳  

タゴール「ギタンジャリ」

90

死が お前の扉を 叩く時

お前は 何をささげるのか?

おお 私はそのお客の前に

わたしの生命をみたした器を ささげましょう——

決して空手では かえしません。

 

わたしの秋の日と 夏の夜の

甘いぶどうのとり入れと

いそがしい生涯の すべての収穫と 落穂と を

その前に 並べてささげましょう。

私の生涯が終って 死がわたしの扉を 叩くとき。

 

高良とみ 訳       

タゴール「ギタンジャリ」

84

離れている 孤独のかなしみが 世界中に拡がり

無限の空に 数かぎりない形を 生れさせている。

離れている 孤独の悲しみが 終夜黙って 星から星をみつめ

七月の雨の闇に 音立てて鳴る 木の葉の詩(うた)となる。

どこまでも拡がるこの痛みこそ 深まって愛となり 願いとなり

人々の家庭の 苦しみとなり 喜びとなる。

そしてこれこそ 私の 詩人の魂をとおして

つねに歌となり 溶けて流れる。

 

高良とみ 訳  

 

 

 

 

 

 

タゴール「ギタンジャリ」

58
歓びのあらゆる調子を 私の最後の歌に 混ぜ合わせよう――
草をゆたかに 大地の上に あふれ出させる歓びを
生と死の 双児の兄弟を 広い世界に 躍らせる歓びを。
笑いで あらゆる生命を 震わせ 目覚めさせながら
嵐と一しょに やってくる歓びと
苦しみに 開いた紅の蓮の上に 涙を浮かべて 静かに 休らう歓びを。
そして あらゆるもちものを塵に捨てて しかも言葉に いいがたい歓びを。

 

高良とみ 訳  

タゴール「ギタンジャリ」

31
「とらわれの人よ 誰がお前をしばったのか。」
「わが主です」囚人は答えた
「わたしは富と権力(ちから)では 世界中で
誰にも負けないと思っていました。
そして 主に返すはずの財宝(たから)を
わたしの金庫に 貯えました。
ねむりに とらえられて わたしは
主の寝床に 眠りました。
そして目が覚めてみたら わたしは
自分の金庫の中の 囚人になっていました。」

 

「とらわれ人よ 誰が このこわれない鎖を 作ったのか。」
「わたし自身なんですよ」囚人は答えた。
「わたしが この鎖を 注意ぶかく作ったのです。
わたしは わたしだけ自由でいて
わたしの 無敵な権力(ちから)をもって
世界を とりこに出来ると思いました。
夜ひる休みなく 巨大な炉と 非情な打撃で
鎖を作りあげました。
やっと仕事がすんで 鎖が完全で頑丈に出来上ったら
鎖の環に とらえられていたのは 自分でした。」

 

高良とみ 訳   

タゴール「ギタンジャリ」

29
わたしの名前で 閉じこめられた彼は
この地下牢で 泣いている。
わたしはまわりに 壁を築くのに いつもいそがしい。
この壁が 日ごとに空にまでのびて行き
わたしは その暗い蔭の中に
わたしの本性を 見失う。

 

この大壁を わたしは誇りとし
ほんの小さな 穴ひとつでも
この名前のために 残してはいけないと
塵と砂とで ぬりかためる。
そうして わたしが気をつかうので
わたしは わたしの本性を見失う。

 

高良とみ 訳  

タゴール「ギタンジャリ」

28
束縛は 強い。
破ろうとすると 心は痛む。
自由こそ わたしの望みのすべてなのだ。
けれども それを望むのは 恥ずかしい。

 

私は信ずる あなたには値ぶみできないほどの 宝があり
あなたはわたしの 最上の友であられることを。
でも わたしの部屋に充ちた虚飾を
掃き捨てる勇気を わたしは持たない。

 

わたしを包む衣は 塵と死の衣だ
わたしはそれを憎み しかも愛して抱きしめる。

 

わたしの負債(おいめ)は大きく わたしの失敗(しくじり)はおびただしい。
わたしの恥辱(はじ)は ひみつで重苦しい。
しかもわたしが 善いことを願いにくるときには
ひょっと祈りが 聞きとどけられはしないかとおそれて
わたしの身は震える。

 

高良とみ 訳  

タゴール「ギタンジャリ」

12
わたしの 旅の時は永く
その道のりは 遥かに遠い。

 

あさの光が さしたとき 車で出かけて
世界の荒野を 越えて
数々の星に わだちの跡を 残してきた。

 

自分自身に 近づく道は
一番遠い 旅路なのだ。
単純な音色を 出すためには
いちばんめんどうな 訓練(しつけ)が要るのだ。

 

旅人は 一つ一つ 他人の戸口をたたき
一番終りに 自分の戸口を みつける。
あらゆる 外の世界をさまよい 最後に
一番なかの 神殿に到達する。

 

わたしの眼は 遠くはるかに さまよった。
そして 最後に 眼を閉じて 言った
「あなたはここに居られた!」と。

 

「おお どこに?」との 問いと叫びは
涙に溶けて いく千の流れとなり
「わたしは居る」という 確信の洪水となり
世界へ 逆流しはじめる。


高良とみ 訳  

タゴール「ギタンジャリ」

8
王子さまのような衣装や
宝石のくさりを 首につけた子供は
遊びの喜びを すっかりなくしてしまいます。
一あしごとに その衣装が 邪魔をしますから。

 

それがすり切れてしまったり
塵に まみれることを恐れて
子供は 世の中から 離れて
動くことさえ こわがるでしょう。

 

母よ 飾りの束縛は 無益です。
子供を 健やかな大地の塵から しめだして
みんなのくらしの中の すばらしいお祭りに 行くたのしみを
うばい去ってしまうのですから。

 

高良とみ 訳  

 

 

ターナー「希望の虚偽」

〈光と色彩〉に付した詩


方舟はしっかりとアララテ山に立ち
帰り来る太陽は、地上から湿った泡を昇らせる
それらは、光と競いつつ
プリズムのように失われた大地の姿を映し出す
それらは夏の蠅のごとく儚い希望の前触れ
飛び上がり、漂い、ふくらみ、死ぬ

 

2018ターナー展にて  

ターナー「希望の虚偽」

〈グリゾンの雪崩〉に付した詩


沈みゆく太陽は別れの悲しみとともに
不吉な輝きを放ちながら近づく嵐
舞っては積もる雪また雪
途方もない重さで岩の障壁を打ち砕く
松の森も一瞬にして崩壊し
そそりたつ氷河も崩落する
時を経たすべてのものが押しつぶされる
残るは滅びのみ
人の苦悩、希望も——すべてを覆いつくす

 

2018ターナー展にて  

ミヒャエル・エンデ「遠い旅路の目的地」

  その後の十年というもの、シリルは、定住を知らぬ旅の毎日を続けた。シリルが「遠征」と名付けた生活にもまったく慣れ、それがあたりまえの生き方となった。いつかどこかで、さがすものが現実に見つかるという、若年の頃の甘い期待は、言うまでもなくとうの昔に消え去った。その逆で、今ではもうそれを見つけたいとシリルは思っていなかった。見つかれば、その扱いに困ったことだろう。シリルは自分のおかれた状態を次の数式にあらわしてみた。つまり、目的地への到着を願うことができる、そのことと、旅路の長さは反比例するというものだ。シリルの考えでは、この点にこそ人間の努力全体に共通する皮肉がある。つまり、期待が持つ真の意義とは、それがついに満たされないところにこそあるのだ。満たされた期待は全部、結局は失望に終わる運命なのだから。

 

田村都志夫 訳  

ミヒャエル・エンデ「遠い旅路の目的地」

だが、「思い出」という言葉が何を意味するというのか。意識は思い出の上に築き上げられるが、それはなんと弱々しいことか。今、話した、読んだ、おこなったことは、次の瞬間にはすでにもう現実でない。それはただ記憶の中に存在するにすぎない——人生そのもの、いや、この世界全体がそうなのだ。現実と呼べるものは、それをとらえようとするときには、すでに過ぎ去った無限小の現在にすぎない。私たちは、今朝、いや一時間前、ほんの一瞬前に出現したのかもしれない、ただ三十年、百年、千年間のでき上がった記憶を持って出現したのかもしれない。確かにはわからないのだ。思い出とは何か、それはどこから来るのか、それを知らないかぎり、確かなことはわからない。しかし、もしそうならば、時間とは時を知らぬ世界を意識が知覚するかたちにほかならないのなら、近い将来や遠い将来に体験することの思い出があって、なぜいけないのか?

 

田村都志夫 訳