本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

ラッセル「幸福論」第2章

いっさいは空であるという感情は、自然の欲求があまりにもたやすく満たされるところから生まれる感情である。人間という動物は、ほかの動物と同じように、ある程度の生存競争に適応している。だから、大きな富のおかげで、人間が努力しないでもおのれの気まぐれを満足させられる場合は、生活に努力が不要になったというだけで幸福の本質的な成分が奪われてしまう。格別強い欲望を感じていないものをやすやすと入手できる人は、欲望を達成したって幸福はもたらされない、と結論する。もしも、彼が哲学者肌の人であれば、人生は本質的にみじめである、なぜなら、ほしいものは何でも持っている人でも、なお不幸なのだから、と結論する。彼は、ほしいものをいくつか持っていないことこそ、幸福の不可欠の要素である、ということを忘れているのである。

 

安藤貞雄 訳  

ラッセル「幸福論」第4章

あまりにも興奮にみちた生活は、心身を消耗させる生活である。そこでは、快楽の必須の部分と考えられるようになったスリルを得るために、絶えずより強い刺激が必要になる。多すぎる興奮に慣れっこになった人は、コショウを病的にほしがる人に似ている。そんな人は、ついには、ほかの人ならだれでもむせるほど多量のコショウでさえ味がわからなくなる。退屈には、多すぎる興奮を避けることと切り離せない要素がある。そして、多すぎる興奮は、健康をむしばむばかりではない、あらゆる種類の快楽に対する味覚をにぶらせ、深い全身的な満足をくすぐりで置き換え、英知を小利口さで、美をどぎつい驚きで置き換えてしまう。

 

安藤貞雄 訳  

ラッセル「幸福論」第7章

  私たちの伝統的な道徳は、不当に自己中心的であった。そして、罪の観念は、こうした、愚かに愚かにも自己に注意を集中することの一部である。この、欠陥のある道徳によってかもし出された主観的な気分を味わったことのない人びとには、理性は不必要かもしれない。しかし、一度この病気にかかった人びとにとっては、きちんと治癒するためには理性が必要である。もしかすると、この病気は、精神的発達において必要な段階なのかもしれない。理性の助けによってこの病気を乗り越えた人は、この病気も治癒もどちらも経験しなかった人よりも、一段と高いレベルに達したのだ、と私は考えたい。現代では一般的になっている理性ぎらいは、大部分、理性の働きが十分にかつ根本的に理解されていないところに原因がある。内部が分裂している人間は、興奮と気晴らしとを捜し求める。彼は、強烈な情熱を愛するが、それにはしっかりした理由があるわけではなく、さしあたり、その情熱がわれを忘れさせてくれるので、思考というつらい仕事をしなくても済むからである。彼にとっては、どんな情熱も一種の陶酔となる。そして、根本的な幸福などは思いもよらないので、彼には、苦痛からの救いはすべて陶酔の形でしか可能でないように思われるのだ。これは、しかし、根の深い病気の徴候である。このような病気のないところでは、おのれの能力を最も完全に発揮するときに最大の幸福が訪れる。最も強烈な喜びを味わえるのは、精神が最も活発で、もの忘れの最も少ない瞬間である。これこそ、まさに、幸福の最上の試金石の一つである。どんな種類であれ、陶酔を必要とするような幸福は、いんちきで不満足なものだ。本当に満足できる幸福は、それに伴って、私たちの諸能力が最大限に行使され、私たちの生きている世界を最大限に理解させてくれるものである。

 

安藤貞雄 訳  

ラッセル「幸福論」第10章

世界は果てしなく広く、私たち自身の力は微々たるものである。もしも、私たちの幸福のすべてがまったく個人的な環境と結びついているのであれば、どうしても、人生に与えられる以上のものを人生に求めるようになる。そして、あまりに多くを求めることは、得られるものも得られなくなるいちばん確かな方法である。

 

安藤貞雄 訳  

ラッセル「幸福論」第11章

人間、関心を寄せるものが多ければ多いほど、ますます幸福になるチャンスが多くなり、また、ますます運命に左右されることが少なくなる。かりに、一つを失っても、もう一つに頼ることができるからである。ありとあらゆることに興味を持つには、人生は短すぎる。けれども、日々を満たすに足りるだけ多くのものに興味を持つのは、結構なことだ。私たちはみんな、内向的な人間の病気にかかりやすい。内向的な人間は、世界の多彩なスペクタクルが目前に繰り広げられているのに、目をそらして、心中の虚無のみを見つめるのである。しかし、内向的な人間の不幸に何かすばらしいものがある、などと想像しないことにしよう。

 

安藤貞雄 訳  

ラッセル「幸福論」第15章

深く愛していた人の死のような、慰めようのない悲しみについても、同じような考えがあてはまる。そういうときには、だれにせよ、悲しみにうち沈んだところで何の足しにもならない。悲しみは避けがたいものであり、覚悟してかかるほかはない。しかし、悲しみを最小にするためになすべきことは、何でもしなければならない。ある人びとがするように、不幸からみじめさの最後の一滴まで飲みほそうとするのは、単なる感傷でしかない。悲しみにうちひしがれる人がいることは、もちろん、私も否定しない。しかし、人間だれしもこうした運命を避けるために全力を尽くすべきであり、どんなつまらぬことでもいい、何か気晴らしを捜すべきである、と私は言いたい。ただし、その気晴らしは、それ自体有害なものであったり、人を堕落させるものであってはならない。私が有害で、人を堕落させると思っている気晴らしの中には、泥酔とか麻薬とかが含まれている。両者の目的は、思考を——少なくとも当分は——麻痺させることにあるのだ。正しい方法は、思考を麻痺させることでなく、思考を新しいチャンネルに切り替えること、あるいは、少なくとも現在の不幸から隔ったチャンネルに切り替えることである。もしも、これまでの生活がごく少数の興味に集中されていて、しかも、これらの少数の興味がいまや悲しみに満たされてしまったならば、思考の切り替えはむずかしい。不幸に見舞われたときによく耐えるためには、幸福なときに、ある程度広い興味を養っておくのが賢明である。そうすれば、現在を耐えがたくしているのとは別の連想や感情を思いつかせてくれる静かな場所が、精神のために用意されるだろう。
  十分な活力と熱意のある人は、不幸に見舞われるごとに、人生と世界に対する新しい興味を見いだすことによって、あらゆる不幸を乗り越えていくだろう。その興味は、一つの不幸のために致命的になるほど制限されることは決してないのだ。一つの不幸、いや数度の不幸によってさえ敗北してしまうのは感受性に富むあかしとして賞賛されるべきことではなくて、活力の無さとして遺憾されるべきことである。私たちの感情は、すべて死の手にゆだねられているのであって、死は、いつなんどき私たちの愛する人を打ち倒すかもしれない。だから、人生の意義と目的をそっくり偶然の手にゆだねるといった、そんな狭い激しさを私たちの人生に与えるべきではない。

 

安藤貞雄 訳          

 

 

ラッセル「幸福論」第17章

牢獄にいて幸福だというのは、およそ人間の本性ではない。そして、私たちを自己の殻にとじこめる情念は、最悪の牢獄の一つとなる。そういう情念のうち、最もありふれたものをいくつか挙げるなら、恐怖、ねたみ、罪の意識、自己へのあわれみ、および自画自賛である。これらすべてにおいて、私たちの欲望は自分自身に集中している。すなわち、外界に対する真の興味はみじんもなくて、あるのはただ、外界がどうにかして自分を傷つけはしないか、自分の自我をはぐくむことをやめはしないか、という気づかいのみだ。人があんなに事実を認めるのをいやがり、あんなに神話の温かい衣にくるまっていたがる理由は、主に恐怖である。しかし、イバラが温かい衣を引き裂き、冷たい風が裂け目からしみこんでくる。そこで、神話の衣の温かさに慣れっこになった人は、最初から冷たい風に対して体を鍛えてきた人よりも、風の冷たさが格段に身にしみるわけだ。その上、自らを欺いている人びとは、通例、内心ではその事実に気づいていて、何か都合の悪い事件が起きて、不愉快な事実を思い知らされるのではないか、と始終おびえながら暮らしている。
  幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人である。

安藤貞雄 訳    

G・ガルシア=マルケス 「コレラの時代の愛」

当時の彼はあまりにも若すぎて、記憶は悪い思い出を消し去って、いい思い出だけをより美しく飾りたてるものであり、その詐術のおかげで人は過去に耐えることができるのだということが分かっていなかった。船の手すりから、コロニアル風の地区のある白い岬や屋根の上でじっと動かずにいるクロコンドル、バルコニーに干してある貧しい人たちの洗濯物をふたたび目にしたとたんに、自分が郷愁の仕掛けた甘い罠にやすやすとかかってしまったのだということに気づいた。

 

木村榮一 訳    

G・ガルシア=マルケス 「コレラの時代の愛」

「今ここでお父さんが死んだら」と言った。「お前がわたしの年になる頃には、ほとんど覚えていないだろうな」
  父親は何気なくそう言ったのだが、涼しくて薄暗い事務室の中を死の天使が一瞬ふわりと漂い、羽根を残して窓から出て行った。しかし、少年はその羽根を眼にしなかった。それから二十年以上の年月がたち、フナベル・ウルビーノ博士はあの午後の父親の年齢に近づきつつあった。自分が父親にそっくりだということに気づいていたが、同時に父と同様いずれは死ぬ運命にあるのだというぞっとするような予感も感じていた。

 

木村榮一 訳  

G・ガルシア=マルケス 「コレラの時代の愛」

  夫に仕えることでたしかに幸せを手に入れることができたが、死なれてはじめて、自分というものがないことに気がついた。あの家は一夜にしてだだっ広くてさみしい他人の家に変わり、彼女はそこに住みついた亡霊のようにさまよい歩きながら、本当に死んでしまったのは亡くなった夫と一人残された自分のどちらだろうと考えてやり切れない気持ちになった。夫は大洋の真ん中に自分を一人残してあの世へ旅立っていった。そんな夫に対する恨みがましい思いを捨て去ることができなかった。

 

木村榮一 訳    

ウワディスワフ・シュピルマン 「ザ・ピアニスト」

ちょうどその時、一人の少年が首から甘い物の入った箱を吊り下げ、群衆の間をかき分けて我々のほうへ近づいてきた。彼がお金というものをどう考えていたかはわからないが、彼は甘い物を法外な値段で売っていた。我々は小銭の残りをかき集め、たった一個のクリームキャラメルを買った。父はそれを懐中ナイフで六つに分けた。これがみんなで一緒に食事をした最後となる。

 

佐藤泰一訳  

ウワディスワフ・シュピルマン 「ザ・ピアニスト」

最初に湧いてきた感情は死ねなかったという失望ではなく、生きていたことがわかった歓びである。どんな犠牲を払っても失せることのない、果てしなき動物的な生への欲望だった。燃えさかる建物の中で一晩生き延びたのだ。現在の関心事は何とか自分を救うことしかない。

 

佐藤泰一訳
*死ねなかった→自殺を試みた翌朝  

星野道夫 「ノーザンライツ」

「ドン・シェルドンは偉大なパイロットだったというだけでなく、山や空という無機質な世界をヒューマニズムの世界に変えていた。つまり彼がいることで、マッキンレー山もその空も生き生きと輝いていたのね」     

星野道夫 「ノーザンライツ」

  アラスカは一体誰の土地なのかと立ち上がった原住民土地請求運動は、これまであやふやのまま置き去りにされていたアラスカの土地所有の問題に対して、はっきりとした答を迫っていたのだ。その結果、アラスカは、アラスカ原住民、アラスカ州、そしてアメリカ合衆国の間で網の目のように複雑に分けられていった。壮大な原野の広がりは何も変わらないが、人々の心の中に、どうしても消し去ることができないラインが引かれていったのである。アラスカの歴史の中で、そのラインこそが、ゴールドラッシュよりも何よりも大きな出来事だった。国が選んだ三十二万四千平方キロに及ぶ土地は、新しい国立公園となってアラスカ中に現れ、父親から受け継いだセスの原野の家はいつの間にかコバック川国立公園のラインの中に入っていたのである。かつて、フロンティアへの夢を抱いてアラスカの原野に散らばった開拓者たちは、その見えないラインによって閉め出されようとしているのだった。
  そしてそのラインは、エスキモーやインディアンの人々の土地に対する観念さえ変えつつあった。太古の昔から、土地は個人が所有するものではなく、ただいつもそこに存在するものだった。カリブーの大群が地平線から現れ、また別の地平線に消えてゆくような、自由で、とらえどころのない広がりをもつ世界だった。しかし、アラスカ原住民土地請求権解決法により、人々の間でもそれぞれの土地所有権が決まり、心の中に見えない線が引かれつつあった。ドンは、ある村人が、自分の土地で誰かが冬用の焚き木を切っていったとこぼしていたという話を、信じられぬ思いでぼくに語ったことがあった。その土地とは、昔と何も変わらぬただ広大な原野なのである。ドンは、そんな時代の移り変わりを、ずっと生きてゆこうと決めたアンブラーの村でじっと見続けているような気がした。    

星野道夫 「ノーザンライツ」

  混沌とした時代の中で、人間が抱えるさまざまな問題をつきつめてゆくと、私たちはある無力感におそわれる。それは正しいひとつの答が見つからないからである。が、こうも思うのだ。正しい答など初めから存在しないのだと……。そう考えると少しホッとする。正しい答をださなくてもよいというのは、なぜかホッとするものだ。しかし、正しい答は見つからなくとも、その時代、時代で、より良い方向を模索してゆく責任はあるのだ。時代の渦にまきこまれながらも、何とか舵をとりながら進んでゆこうとするグッチンインディアンの人々の夢に、ぼくは強くそのことを感じていた。