本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

チャールズ・A・リンドバーグ 「翼よ、あれがパリの灯だ」

  セント・ルイス号は、すばらしい飛行機だ。まるで生きもののようだ——スムーズに、そして楽しむかのように空をすべる様子は、飛行の成功は私と同じように機の自分にとっても重要であり、われわれは一体となって経験を分ち合い、互いに美と生命と死を相手の忠実さに賭けて、頼り切っているかのようだ。私と機が一体となったわれわれが——私だけでもなければ機だけでもない——この大洋の横断を成し遂げたのだ。
エンジンの計器を懐中電灯で照らしてみる。指針は全部正しい位置にある。ほとんど三十三時間、どの指針も正常の位置からはずれていない——機首タンクが空っぽになったとき以外には、私が飛んだ一分間ごとに、シリンダーは七千回以上に爆発をつづけたのだが、それでいて一度も故障は起こしていない。

  四千フィートで私は機を水平にして、パリ市を示すはずの前方の空の輝きを求める。もう一時間も経たずに私は着陸するのだ。私の地図の一点がパリ自身となって現われるだろう——空港も格納庫も投光照明も、それから私を誘導するために整備員たちも走って出て来るだろう。翼下の地上はすべて灯火のかたまりだ。大きなかたまりは都市で、小さいのは町や村だ。ポツリ、ポツリと店のように見える灯は、農場の建物だ。私はいま地上から反対側の空を眺めているような気持ちになる。パリは夜をあざむく大きなきら星のようである。
  一時間も経たないうちに私は着陸するだろう。しかしいまとなっては不思議なことに、それが早く過ぎてもらいたい気持ちではない。いまは少しも眠くはない。目もいまはもう塩漬けの石みたいではない。からだのどこも痛むところはない。夜は冷たく安全だ。私は操縦席に静かにすわったまま、いまはついに飛行を完全に成し遂げたという実感を心に銘じたい。ヨーロッパは眼下にある。パリは前方の——あと数分間灯の上を越えた——夜のなかの地上の曲線を過ぎたところにある。それは、珍しい花を見つけて懸命に山を登るようなものだ。やがてそれが手を伸ばせば届くところまでたどり着くと、こんどはそれを引き抜くよりも、それを見つけたということにいっそう満足感と幸福感を覚えるのと似ている。花を摘むということは、それをしぼませるということと切り離せないものだ。私は飛んだというこの飛行の最高の経験を引き延ばしたい。むしろパリはもっと時間のかかるところにあればよいとさえ思う。こんなよく晴れた夜に、しかもタンクにまだたっぷりと燃料を残したままで着陸するのは、恥ずかしい。

 

佐藤亮一 訳