本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

トルストイ「トルストイの言葉」

  金銭——それは他人の労働を利用する可能性、あるいは権利である。金銭は、奴隷制度の新しい形式である。それと奴隷制度の古い形式との相違点は、特定の人間をその対象としていない点、奴隷に対するあらゆる人間関係が、すべて省略されている点だけである。

 

  金銭は、奴隷制度と同じものである。その目的も、その結果も、まったく同じである。

                                                                               (われらはなにをすべきか)

小沼文彦 訳編  

トルストイ「トルストイの言葉」

  自分の手を使って働かない限り、健康な肉体に恵まれることはない。また健全な思想も頭にわくものではない。          

 

  自分では働くことをせず、他人の労働によって生活している金持どもはすべて、たとえ彼らがどのように自称していても、彼らが自分で働かないで他人の労働を強奪している限り、そうした人間はひとり残らず、強盗である。そしてこの強盗には三種類ある。つまり、自分たちが強盗であることに気づかないで、あるいは気づこうとしないで、自分の兄弟たちに平然として強盗を働いている連中。つぎに、自分たちが間違っていることに気づきながらも、自分たちが軍人として、あるいは各種の役人として勤務していることで、または他人を教え、本を書き、書物を出版していることで、自分たちの強盗行為を正当化することができるかのように考えて、依然として強盗をつづけている連中。それから、自分たちの罪を知っていて、この罪からなんとかして抜け出そうと努力している人たちである。

                                                                                                          (人生の道)

小沼文彦 訳編  

 

トルストイ「トルストイの言葉」

  われわれが自分の個性として知っているもの、およびわれわれがこの宇宙全体において見たり、聞いたり、触れたりすることのできるすべてのもののほかに、さらに目に見えない、肉体を具備しない、初めもなければ終わりもない何ものかが存在し、この何ものかがすべてのものに生命を与えている。そしてこの何ものかがなかったら、他のいかなるものも存在しないだろうと思われる。この本源をわれわれは神と名づける。

 

  もしも私が浮わついた生活を送っているのなら、私は神なしでもすますことができる。しかし、この世に生まれ落ちたとき自分は果たしてどこからやってきたのか、そして死んだらどこへ消えて行くのか、などということを考えるとき、私は、私を送り出し、そしてまた迎え入れてくれるもののあることを、どうしても認識せずにはいられない。私は、この自分が、なにか不可解なものからこの世に送り出され、そして再びその不可解なもののところへ帰って行くものであることを、どうしても認識しないわけにはいかない。

  私を送り出し、そしてまた迎え入れてくれるこの不可解なものを、私は神と呼ぶのである。          

                                                                                                 (人生の道)

小沼文彦 訳編  

トルストイ「トルストイの言葉」

  時はわれわれの背後にある。また時はわれわれの前面にある。しかしわれわれとともには決して存在しない。過去もしくは未来の実像について、深く考えるようになると同時に、われわれは、われわれのいちばん大事なもの、つまり、現在における真の生活を失うようになる。

 

  時間は存在しない。存在するのはただ現在の、この瞬間だけである。そしてそこに、その瞬間に、われわれの全生活は存在するのだ。それ故にわれわれは、この一瞬に自己の全力を傾注しなければならない。

 

  過去はすでに無いものであるし、未来は未だ来ないものである。それでは現実に存在するのはいったい何であるか?過去と未来が融合する一点だけである。一点——これは皆無にひとしく思われるかもしれない。しかしながら、この一点にのみ、われわれの全生活は存在するのである。

                                                                                                       (人生の道)

小沼文彦 訳編  

トルストイ「トルストイの言葉」

  喜べ!喜べ!人生の事業、人生の使命は喜びだ。空に向かって、太陽に向かって、星に向かって、草に向かって、樹木に向かって、動物に向かって、人間に向かって喜ぶがよい。この喜びが何物によっても破られないように、監視せよ。この喜びが破れたならば、それはつまり、お前がどこかで誤りをおかしたということだ。その誤りを探し出して、訂正するがよい。             (日記)

 

小沼文彦 訳編  

トルストイ「トルストイの言葉」

  過去を思い出したり未来を想像したりする能力がわれわれに与えられたのは、それらに対する考察によって、現在の行為をより一層的確に決定するためであって、決して過去を哀惜したり、未来の準備をしたり、させたりするためではない。                                                                              (人生の道)

 

小沼文彦 訳編  

トルストイ「トルストイの言葉」

  やがて私の行為は、それがどんな行為であっても、おそかれ早かれ、すべて忘れられてしまい、そしてこの私という存在も、完全に消滅してしまうのだ。それなのに、なんであくせくするのだろう?この事実にどうして人間は、目をつぶって生きて行くことができるのであろう?実に驚くべきことではないか!そうだ、われわれが生きることができるのは、この世の生に酔いしれているあいだだけである。だが、そうした陶酔からさめるが早いか、それが一から十まで欺瞞であり、愚劣きわまる迷妄であるにすぎないことを、認めないわけにはいかないのだ!すなわち、この意味においては、この世の人生にはおもしろいことや、おかしなことは、なにひとつないのである。ただもう残酷で、愚劣なだけなのだ。                                                         (懺悔)

 

小沼文彦 訳編  

トルストイ「トルストイの言葉」

  いわゆる人間の顔の美しさは、もっぱらその微笑の中にあるように私には思えるーーもしも微笑によって顔に魅力が加わるなら、その顔はすばらしい顔である。もしも微笑で変化しなければ、その顔は平凡な顔だ。もしも微笑によってそこなわれるならば、その顔はみにくい顔である。             (幼年時代)

 

小沼文彦 訳編   

トルストイ「トルストイの言葉」

  群衆というものは、たとえ善人ばかりの組合わせであっても、動物的な醜悪な面だけで結合しているのであり、人間の本性の弱点と残忍さだけを現すものである。                                                                                    (ルツェルン)

 

小沼文彦 訳編  

トルストイ「トルストイの言葉」

  人間は有頂天なときほどエゴイストになることはない。そんなときには、世界じゅうに自分ほどすばらしくておもしろい人間はいないような気がするものである。                                                                                          (コサック)

 

小沼文彦 訳編  

トルストイ「トルストイの言葉」

快楽は真理の発見にあるのではなく、その探求の中にあるのである。

                                                                                          (アンナ・カレーニナ)

小沼文彦 訳編