本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

パウロ・コエーリョ 「ベロニカは死ぬことにした」

  彼女は、自分が全く普通だと信じていた。彼女の死にたいという選択の裏には、簡単な理由が二つあり、もしそれを説明するメモを残したら、多くの人が彼女に賛成してくれるだろう。
  一つ目の理由は、彼女の人生の全てが代わり映えせず、一度若さを失ってしまえば、老齢が消えない跡を残し始め、病気が始まり、友人たちに先立たれたりと、あとはずっと下り坂になることだ。生き続けることで得るものなど何もなく、それこそ、苦悩する可能性が増えていくだけだろう。
  二つ目の理由は、より哲学的だった。ベロニカは新聞を読み、テレビも観ていたから、世の中で何が起きているのか分かっていた。全てがおかしくなり、まともに変える力もなくて、自分の力不足を感じざるを得なかったからだ。

 

江口研一 訳   

 

パウロ・コエーリョ 「ベロニカは死ぬことにした」

「狂気とはね、自分の考えをコミュニケートする力がないことよ。まるで知らない外国にいて、全て周りで起こってることは見えるし、理解もできるのに、知りたいことを説明することもできず、助けを乞うこともできないの。みんなが話している言葉が分からないからよ」
「わたしたちはみんなそう感じてるわ」
「だからわたしたちはみんな、なんらかのかたちで、狂ってるのよ」

 

江口研一 訳   

 

パウロ・コエーリョ 「ベロニカは死ぬことにした」

  そのうえ、最新のリサーチで、戦時中には確かに精神的な犠牲者はいるものの、ストレス、退屈、先天的な病気、寂しさ、拒絶による犠牲者よりずっと少なかった。コミュニティが大きな問題に直面する時、例えば、戦争、超インフレ、疫病などだが、自殺者数にほんの少し増加が見られるものの、鬱病パラノイアや精神病は確実に減少している。それは、その問題が克服されればすぐにいつもの数値に戻ることから、イゴール博士によれば、人は狂うという贅沢を、そうできる立場にいる時だけ許すものだった。
  博士の目の前にはもう一つ調査があり、今度は、アメリカの新聞が最高の生活水準として選んだカナダのものだった。イゴール博士は読んでみた。
〈カナダ統計〉によると、15歳から34歳までの40%と、35から54までの33%と、55から64までの20%の人たちは、すでに、ある種の精神病に苦しんでいた。五人に一人が、ある種の精神障害に苦しみ、八人に一人のカナダ人が、一生に一度は、精神的な問題のために入院することになっている。
「我々より、マーケットが大きいな」と彼は思った。「人が幸せであればあるほど、不幸せなものなんだ」

 

江口研一 訳   

ヘミングウェイ 「老人と海」

  やつの賭けは、わなや落とし穴や奸策をのがれて、あくまであの暗い海の底で頑ばることだった。ところで、こっちの賭けも、あらゆる人間の群れからのがれて、いや、世界中の人間から遠ざかって、その海の底までやつを追いかけていくことだ。というわけで、おれたちは、こうしていまいっしょにいる。昼以来ずっといっしょにいるじゃないか。おたがいひとりぽっちで、だれひとり助けてくれるものもないってしまつだ。

 

福田恆存 訳  

ヘミングウェイ 「老人と海」

  おまえはおれを殺す気だな、老人は心のうちでおもった。なるほどその権利はある。おい、兄弟、おれはいままでに、おまえほど大きなやつを見たことがない。おまえほど美しいやつも、おまえほど落ちついた気高いやつも見たことがないんだ。さあ、殺せ、どっちがどっちを殺そうとかまうこたない。


*やつ→餌に食いついた大魚

 

福田恆存 訳    

トルストイ 「アンナ・カレーニナ」第4編

ぼくは自分の考えや仕事は大いに高く買ってはいる、だが、実際のところ、考えてみてくれよ、我々のこの世界なんて——小さな遊星の上に生えたほんのかびにすぎないじゃないか。それなのに、我々はこの世界に、何か偉大なものが——思想とか事業とか——存在し得るなどと考えている!そんなのはみんな砂粒みたいなものなのに。

 

中村融 訳  

トルストイ 「アンナ・カレーニナ」第6編

—— 分かっておくれよ、ぼくは嫉妬なんかしているんじゃないんだ。これはいまわしい言葉だ。ぼくには嫉妬なんか出来もしないし、そんな……なんていうことは信じられもしない。自分の感じていることがどうもうまく言えないんだが、これは恐ろしいことだ……ぼくは嫉妬しているんじゃない、侮辱されているんだ、相手が誰であろうと、あつかましくあんな目つきでお前を見たり、お前のことを考えたりしていると思うと、屈辱を感じるんだ……

 

中村融 訳 

トルストイ 「アンナ・カレーニナ」第6編

——まあそういうわけでだね、君。二者択一が必要なのさ。今日の社会制度を正しいものと認めて、その上で自己の権利をまもるか、さもなければ、ぼくがやっているように、不正な特権を利用していることを認めながらも、それを喜んで利用するか、だ。

 

中村融 訳  

トルストイ 「アンナ・カレーニナ」第7編

つまり、彼女が彼に嫉妬したのは、どこかの女のためではなくて、彼の愛情の減少に対してだったのだ。嫉妬の対象はまだもっていなかったので、彼女はそれを探しだそうとした。そしてほんの些細な暗示ででも自分の嫉妬の対象を次々と移した。

 

中村融 訳  

トルストイ 「アンナ・カレーニナ」第7編

  すると彼女は突然、自分の心にあるものを悟った。そうだ、この考えこそすべてを解決してくれるものなのだ。《そうだわ、死ぬことだわ……!》
《そうなれば良人カレーニンやセリョージャの恥も、不面目も、わたしのおそろしい恥辱も——なにもかもが死によって救われるのだ。死ぬのだ——そうすればあのひとも後悔するだろうし、わたしをかわいそうだと思うし、愛してもくれるだろうし、またわたしのために苦しむにちがいない》。

 

中村融 訳  

トルストイ 「アンナ・カレーニナ」第8編

《無限の時間、無限の物質、無限の空間の中に泡のような有機体が浮び出る、そしてその泡はしばらくとどまって、消えてしまう、そしてその泡が——このおれなのだ》。  

 

中村融 訳      

トルストイ 「アンナ・カレーニナ」第8編

  もし善が原因をもつものならば、それはすでに善ではない。もしそれが結果を—酬いをもつものならば、それもやはり善ではない。従って善は因果の鎖の外にあることになる。
  そしてそのことは、おれも知っているし、われわれみんなが知っていることなのだ。
  ところがおれは奇蹟を探しもとめ、なるほどと納得するような奇蹟にあわないのを残念がっている。が、これこそまさに奇蹟ではないか、唯一の可能な、常に存在する、四方からおれを取り囲んでいる奇蹟ではないか、しかもおれはそれに気づかなかったのだ!
  これより大きないかなる奇蹟がありうるというのか?

 

中村融 訳    

ウンガレッティ 「ウンガレッティ詩集」

オリエントの面影

 

しめやかに移ろう微笑みのなかで
ぼくらはつながれているのだ
渦巻き芽生える欲望に

 

ぼくらは熟れてゆく
太陽に摘みとられながら

 

ぼくらはあやされているのだ
期待という無限の網目のなかで
太陽を浴びながら

 

目を閉じれば
湖のなかを泳いでゆく
失われた時の甘美さが

 

目覚めればさらに重く
この肉体が
大地を引きずっている

 

河島英昭 訳