シモーヌ・ヴェイユ 「根を持つこと」
今日、小学校に通っている農民の子どもは、ピュタゴラス以上にそれについて知っていると一般には信じられている。子どもが従順に、地球は太陽のまわりを廻っていると受け売りするからである。ところが実際には、子どもはもはや星を見てはいないのである。教室で教えられる太陽は、子どもにとって、彼が見る太陽となんらの関係も有しない。ひとは子どもを、彼を取り囲んでいる世界から引き離してしまう。
山崎庸一郎 訳
シモーヌ・ヴェイユ 「根をもつこと」
義務の観念は権利の観念に優先する。権利の観念は義務の観念に従属し、それに依存する。一つの権利はそれ自体として有効なのではなく、その権利と対応する義務によってのみ有効となる。一つの権利が現実に行使されるにいたるのは、その権利を所有する人間によってではなく、その人間に対して何らかの義務を負っていることを認めた他の人間たちによってである。義務は、それが認められた時すぐさま有効となる。だが、一つの義務は、例えだれからも認められない場合でさえ、何らその存在の十全性を失うことはない。ところが、だれからも認められない権利は、取るに足りぬものである。
山崎庸一郎 訳
「旧約聖書」コヘレトの言葉 第3章
何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。
新共同訳
本の記録
読んだ本から、一節を抜き書きしていきます。
著者の思想が結晶化している言葉を掘り当てたいなあと思いながら、日々本を読み続けます。化石を掘り出すみたいに。