本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

ダニエル・コーエン「経済は、人類を幸せにできるのか?」第2章

イスラエルの保育園の園長は、子どものお迎えの時間に遅れる親が多いことに手を焼いていた。その解決策として、園長は遅れる親に課金することにした。今後、親は一時間遅れるごとに10ドルを支払わなければならないとしたのだ。ところが、その結果は、期待を裏切るものだった。驚いたことに、翌日からお迎えの時間に遅れる親の人数は三倍に増えたのだ。その理由は単純で、献血の場合と同様だ。つまり、課金する以前では、親たちは、子どもに恥をかかせてはいけない、保育園の先生たちに迷惑をかけてはいけないという道徳心から、お迎えの時間に間に合うように努力してきたのだ。ところが、遅れた親には課金するという宣言がなされると、親たちは、自分たちの行動の価値尺度を即座に変えた。彼らは、10ドルならベビーシッターの料金と変わらないと計算するようになったのだ……。
お迎えの時間に遅れると一時間10ドルを課金した園長と、報奨金を提示して献血者の人数を増やそうとした輸血センターの所長は、同じ論理的思考の間違いを犯した。二人とも、道徳的動機づけを加えるのは可能だと考えたのだ。だが、彼らが目の当たりにしたのは、まったく別の現実だった。すなわち、金銭的報酬の効果が道徳的報酬の効果に加わるのではなく、金銭的報酬が道徳的報酬を蹴散らしたのだ。状況によって、人は道徳的行動をとったり、利益を計算した行動をとったりするが、両方を同時に選択して行動することはできないのだ。あなたがタクシーに乗る代わりに、友だちがあなたを自宅まで車で送ったとしよう。発生しただろうタクシー代を友だちにあげて感謝の印としたのなら、その人はあなたの友だちではなくなるだろう。

林昌宏 訳