バルザック「ゴリオ爺さん」
「ご馳走を食べたければ手を汚すしかない。ただあとでその手を洗っておくのだけは覚えておくことだ。現代の道徳とはつまりそれなんだから。わしが世間のことをこんなふうに語るのも、世間がわしにその権利をあたえたから、つまりわしが世間を知っているからだ。わしが世間を非難しているとでもきみは思うかね。とんでもない。世間は昔からこうだったのだ。道徳家先生どもには世間は変えられまい。人間は不完全だからだ。人間はときに応じて多少とも偽善的なものだ。それをばかな連中が、あのひとは真面目だとか、不真面目だとか言うのさ。わしは金持を非難して貧乏人に同情しようとは思わんね。人間は上でも下でもまんなかでも、いずれ似たりよったりなものだからな。」
高山鉄男 訳