本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 「森の生活—ウォールデン—」より高い法則

  想像を反発させないほど単純で清潔な食事を提供し料理することはむずかしいことである。しかし、われわれが肉体に給食するときにはこの想像にも給食すべきであるとわたしはかんがえる。この二つは同じ食卓に座るべきである。だが、このことはたぶん可能である。果実が適度に食われたときわれわれは自分の食欲を恥じる必要がなく、最も高尚な仕事も中断されない。けれども皿のうえに余分な調味料を加えればそれはわれわれを毒するだろう。上等な料理を食う生活は無益なものだ。たいていの人間は、動物食にもせよ植物食にもせよ、毎日他人によってかれらのために調理されるのと全くおなじような食事を自分の手で調理しているところを人に見られたら羞しく感じるだろう。けれどもこのやり方が変わらないかぎりはわれわれは文明にはならず、われわれは紳士淑女ではあるかもしれないが、真の男または女ではありえない。このことはたしかにどういう変更がなされるべきであるかを暗示している。何ゆえ人間の想像が肉や脂肪と調和できないのか問うのは無駄であろう。わたしは調和できないということを確信している。人間が肉食動物であるということは一つの非難ではないか?なるほど人間は主として他の動物を餌食にすることによって生きることができるし、生きてもいるけれどもこれはみじめなやり方だ——誰でも兎を罠にかけ子羊を屠殺する者が思い知ることができるとおり。そして、もっと罪のない、滋養になる食事のみをとるように人間に教える者は人類の恩人と見なされるであろう。わたし自身の実際はともあれ、野蛮人がより文明のすすんだ人間と接触するようになったときにお互いに食うことを止めたとおなじようにたしかに、動物を食うことをやめることは、人類の運命がその徐々たる進歩において当然なすべき一事であることをわたしは信じてうたがわない。

 

神吉三郎 訳