本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

ドストエフスキー 「罪と罰」第6部

「罪?どんな罪だ?」と彼は不意に、発作的な狂憤にかられて叫んだ。「ぼくがあのけがらわしい、害毒を流すしらみを殺したことか。殺したら四十の罪を赦されるような、貧乏人の生血を吸っていた、誰の役にも立たぬあの金貸しの婆ぁを殺したことか。これを罪というのか?おれはそんなことは考えちゃいない、それを償おうなんて思っちゃいない。どうしてみんな寄ってたかって、《罪だ、罪だ!》とおれを小突くんだ。いまはじめて、おれは自分の小心の卑劣さがはっきりとわかった、いま、この無用の恥辱を受けに行こうと決意したいま!おれが決意したのは、自分の卑劣と無能のためだ、それに更にそのほうがとくだからだ、あの……ポルフィーリィのやつが……すすめたように!」

「兄さん、兄さん、なんてことを言うんです!だって、あんたは血を流したじゃありませんか!」とドゥーニャは絶望的に叫んだ。

「誰でも流す血だよ」と彼はほとんど狂ったように言った。「世の中にいつでも流れているし、滝みたいに、流れてきた血だよ。シャンパンみたいに流し、そのためにカピトーリーの丘で王冠を授けられ、後に人類の恩人と称されるような血だよ。もっとよく目をあけてみてごらん、わかるよ!ぼくは人々のために善行をしようとしたんだ。一つのこの愚行の代りに、ぼくは数百、いや数百万の善行をするはずだったんだ。いや、愚劣とさえ言えないよ。ただの手ちがいさ。だって、この思想自体は、たとい失敗した場合でも、いま考えられるような愚劣なものでは、決してなかったんだ……(失敗すれば何でも愚劣に見えるものさ!)この愚劣な行為によって、ぼくはただ自分を独立の立場におきたかった、そして第一歩を踏み出し、手段を獲得する、そうすれば比べようもないほどの、はかり知れぬ利益によって、すべてが償われるはずだ……ところがぼくは、ぼくは、第一歩にも堪えられなかった、なぜなら、ぼくは—卑怯者だからだ!これがすべての原因なのだ!それでもやはりぼくは、おまえたちの目で見ようとは思わん。もし成功していたら、ぼくは人に仰ぎ見られただろうが、いまはまんまとわなに落ちたよ!」

「でも、それはちがうわ、ぜんぜんちがうわ!兄さん、あなたはなんていうことを言うの!」

「あ!形がちがうというんだね!それほど美学的にいい形じゃないというんだね!それが、ぼくにはまったくわからんのだよ。どうして人々を爆弾で吹っとばしたり、正確な包囲で攻め亡ぼしたりするほうが、より尊敬すべき形なんだろう?美しさを危ぶむというのは無力の第一の徴候だ!これをいまほどはっきりと意識したことは、これまでに、一度もなかった。だからいままでのいつよりも、いまが、ぼくは自分の罪が理解できんのだ!ぜったいに、一度も、ぼくはいまほど強く、そして確信にみちたことは、ない!……」

工藤精一郎 訳

ポルフィーリィのやつがすすめた→殺人の罪を自首してその分減刑を受けること