本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

リチャード・バック「かもめのジョナサン」

  ほとんどのカモメは、飛ぶという行為をしごく簡単に考えていて、それ以上のことをあえて学ぼうなどとは思わないものである。つまり、どうやって岸から食物のあるところまでたどりつき、さらにまた岸へもどってくるか、それさえ判れば充分なのだ。すべてのカモメにとって、重要なのは飛ぶことではなく、食べることだった。だが、この風変りなカモメ、ジョナサン・リヴィングストンにとって重要なのは、食べることよりも飛ぶことそれ自体だったのだ。その他のどんなことよりも、彼は飛ぶことが好きだった。

 

五木寛之 訳  

L.M.モンゴメリ「詩集 夜警」

選択

人生よ 蒼白い色や灰色の身なりで私の所へ来ないでくれ
そんな地味な衣装のお前は好まない
人生よ 喜びと悲しみを広く共にしたい
喜びと苦悩に満ち溢れた
お前の深さを測り
お前の最高の感情にまで行き着こう

百姓家にお前と留まるにしろ 宮居にお前と留まるにせよ
人生よ お前の大きな聖盃をぐっと飲み干そう
その苦い澱までも——
そう これらを避けないで
力と慰めは苦しさから生まれるのだし
知恵は眠りの安易さのうちには得られないのだから

蒼ざめた平和 活気のない日はよき贈り物ではない
大きな苦痛も愛もないのは味のないこと
人生よ 私の心の盃を受け取り
どんなに強い酒でも香料でも
溢れんばかりに満たしておくれ
私の心が萎んでしまったり 空にならないように

そうだ 人生よ 人生を遊ぶのではなく
お前が喜んで与えてくれるものに一所懸命生きよう
怯むことのない元気を出して
毎年毎年お前を迎えよう
お前が御機嫌斜めでも 何か良いことを成し遂げて
奥深く隠された人生の意味をはっきり読み取るまで

吉川道夫 柴田恭子

L.M.モンゴメリ「詩集 夜警」

     詩人の想い

 

想いは 虹の夢の中に詩人に現われた

賢者の知恵と生まれた詩霊と情熱とを交えて

朝の如く輝く言葉で

その想いを閉じ込めた

そして 今 その想いは光る宝石となって

幾歳月もの間 光り輝く

 

吉川道夫 柴田恭子 訳  

L.M.モンゴメリ「詩集 夜警」

     遺産

 

私の友は私から去っていった

闇から完璧な光の中へ

だが 素晴らしき遺産を残して

 

私の心はそれを長く持ち続けるでしょう——

静かで 明かるい大きな理想と

奉仕のための希望の歌を

 

汚れなき純真な信仰心と

喜びの美しい思い——

これを私の友は私に残していった

 

そしてこれ以上のものは

最も優雅に生きた

純潔で無傷の立派な行き方

 

私の友よ 今や見えぬ所に行ってしまった

あなたに心から感謝する

私の友は私から去って行った

だが素晴らしい遺産を残して

 

吉川道夫 柴田恭子 訳  

 

 

スティーヴン・D・レヴィット スティーヴン・J・ダブナー「超ヤバい経済学」第5章

新しいアイディアの中には、どれだけ便利であろうが、反感を買わずには済まないものがある。すでに書いたように、人間の臓器の市場は——あれば毎年何万人もの命が救われるかもしれないのに——そういう例の一つだ。
時間とともに、そういうアイディアも反感の壁を乗り越えて現実になる。貸したお金で利息を取る。人間の精子卵子を売る。愛する人の早すぎる死で儲ける。最後の例はもちろん生命保険で、あれは結局そういう仕組みだ。今日では、自分が死んでも家族が暮らしていけるように、生命保険を掛けるのが普通になっている。でも19世紀の中ごろまでは、生命保険は「冒涜」だった。社会学者のヴィヴィアナ・ゼリザーはこう書いている。「死という神聖な現象を野卑でありふれたものに変えてしまう」。

望月衛

スティーヴン・D・レヴィット スティーヴン・J・ダブナー「超ヤバい経済学」第4章

すばらしく頭の切れる合理派が、人間の性の核心にある、いかんともしがたい原則にぶつかった。人の振る舞いを変えるのは難しい。ものすごく賢いエンジニアとか経済学者とか政治家とか親御さんとかなら、安くて簡単なお悩み解決法を思いつくかもしれない。でも、それが人に振る舞いを変えてもらう必要がある方法だったら、うまくいかないかもしれない。毎日世界中で何十億人という人が、自分に悪いとわかっていながらいろんなことをやっている。タバコを吸ったりギャンブルにのめりこんだりヘルメットもかぶらずにバイクに乗ったりしている。
なんでそんなことを?そりゃそうしたいからだよ!ああいう皆さんはああいうことをやってて楽しいのですよ。スリルがあったり退屈な毎日からちょっと逃げられたりして。そしてそんな人たちに自分の振る舞いを変えさせるのは、どんだけ強力に理屈が通っていようが、簡単ではないのである。

望月衛

スティーヴン・D・レヴィット スティーヴン・J・ダブナー「超ヤバい経済学」第3章

経済学者の言葉を借りれば、ほとんどの寄付は不純な思いやり、あるいはちょっとした満足感のための思いやりだ。助けたいから寄付をするというだけでなくて、見栄えがいいからとかいい気分になれるとか、ひょっとすると居心地の悪さが減るからとかで寄付するのだ。

望月衛

スティーヴン・D・レヴィット スティーヴン・J・ダブナー「超ヤバい経済学」第3章

寄付はマスコミの報道に大きく左右される。最近行われた、とある学術研究によると、災害救護の寄付は、新聞の報道が700語増えるごとに18%、テレビのニュースでの報道が60秒増えるごとに13%増加する。

望月衛

ダニエル・コーエン「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」おわりに

人類は、ヨーロッパが18世紀以降たどってきた道筋を、精神的には逆方向に走破しなければならない。つまり、世界は無限であるという考え方から、世界は閉じているという考え方への移行だ。こうした努力は、不可能でもないし、ありえないことでもないが、ただ単に確実性に乏しい。この不確実性こそが、人類史の重苦しい要因なのだが、現代は、この不確実性によって、たった一つの文明の将来が危機にさらされるという、人類史上初の時代なのである。

林昌宏 訳


*経済成長の必然性を見直し、消費基準を変えない限り、やがて人類を養う地球の限界がやって来ると指摘している。有限の世界である限り、経済成長も有限であろう、ということだろう。

ダニエル・コーエン「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」第14章

金融市場の場合では、行動様式を均質化させることが規律になっていた。すべての金融関係者がまったく同じことをやろうとしたのだ。信用金庫は銀行になろうとした。商業銀行は投資銀行になろうとした。投資銀行は投機を行なうヘッジファンドになろうとした。採用する戦略が正しいのかを、外部から判断できる者はいなくなった。そして全員が、同時期に、同じ疾病で息を引き取った。
われわれはそうした状況にあるのだ。今後、資本主義は、ほかのすべてに代わる文明になるが、その正当性が外部から判断されることはない。経済と文化の相互接続が規律になったので、全体の機能不全というリスク回避に、全員がさらされるようになったのである。

林昌宏 訳


*生態系が多様性を失うと致命的な危機となるように、金融市場においても行動の多様性の欠如がリスクの増加に繋がり、金融危機を招いたと指摘している。

ダニエル・コーエン「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」第9章

経済成長は、政府の財源を膨張させるだけではなく、個人の私的な幸せにも影響をおよぼす。1975年のフランス人は、1945年のフランス人よりも比較にならないほど裕福だが、彼らがより幸せだったというわけではない。なぜだろうか?その答えは単純だ。現代の幸せは、実現した経済的な豊かさのレベルに比例するのではなく、経済的な豊かさの出発点がどこであろうと、その増加レベルに比例するからである。

現代社会は、経済的な豊かさよりも、経済成長に飢えているのだ。(すでに)経済的に豊かであるが停滞している国よりも、(急速に)経済的に豊かになる貧しい国で暮らすほうが幸せなのだ。

林昌宏 訳

ダニエル・コーエン「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」第6章

奇妙なパラドックスが、くっきりと浮かぶ上がってきた。高度経済成長により、人々は世代間の絆を持続できると信じるようになった。福祉国家がつくりだした財政面の連帯は、家族と置き換わっていった。というのは、人々はマネーの面で独立するようになると、親の面倒をみないようになったからだ。ところが、経済成長が減速すると、福祉国家がつくりだした連帯の連鎖は弱まってしまったのだ。このようにして人々は、すべてを失った。家族の絆は崩壊し、福祉国家は財政上の重圧になったのである。

林昌宏 訳


*年金システムは経済が急成長する間は圧倒的に承認されるが、減速した場合困難になる。しかし元々家族の世代間で結ばれていた絆は、国家の財政によって結ばれる絆(=年金システム)に取って代わられており、どちらにも頼ることが難しくなってしまったということ。

アーネスト・ゲルナー(ダニエル・コーエン「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」第6章より)

持続的に経済成長する社会は、物質的な改善によって社会的に有害な作用をやわらげてくれる。この理想の非常に大きな弱点は、この理想が社会的な退廃によって資本をすり減らすことでしか存続できず、また、富の象徴が一時的に枯渇する時や、時代の流れが変わる際には、社会的正統性の喪失を克服できないことである。

林昌宏 訳

ダニエル・コーエン「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」第5章

近代社会の労働者は、自分の運命にのしかかる新たな不確実性の奴隷になったのだ。技術進歩は創造的であると同時に破壊的であり、その境界はめまぐるしく変化する。したがって、経済成長が力強い状態にあるかぎりは、社会集団が負う傷口を手当てすることは可能であり、すべてが順調に推移する。ところが、経済成長が減速、さらには大型不況の影響でマイナスになった時には、社会の均衡は、粉々に砕け散ってしまうのである。

林昌宏 訳

ダニエル・コーエン「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」第3章

経済学にとって、マルサスの法則は「陰鬱な科学」と呼ぶにふさわしかった。フランスのコンドルセなどの啓蒙思想家にとって、貧窮や災いの原因は、「悪い」人間性ではなく、悪い政府にあった。啓蒙思想に傾倒していた父をもつマルサスは、これとはまったく逆のことを示そうと試みた。つまり、よい政府によって、公共の安楽はいずれ損なわれるという考えである。平和・社会的安定・公衆衛生などの善と思われることは、呪いに変わる。なぜならば、これらすべては人口の急増を促し、人々はいずれ貧窮するからだ。逆に、戦争・暴力・粗悪な生活は、逆の状況を作り出す。これらは人口増に歯止めをかけるので、(生き残った者たちは)よりよい暮らしを送ることができる。実際に、14世紀中頃からヨーロッパを襲ったペストの大流行によって、生き残った者たちの経済状況は、改善されたではないか……。

林昌宏 訳