本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

トルストイ 「戦争と平和」あとがき

・・・我々の最大の自由と最大の不自由の条件を観察してみると、我々の行為が抽象的であればあるほど、したがって、他人の行為との結び付きが少なければ少ないほど、それは自由であり、逆に、我々の行為が他人と結び付いていればいるほど、不自由だということを認めずにはいられない。
  もっとも強く、切り離せない、重苦しい、不断の他人との結び付きは、他人に対する権力と呼ばれるものに他ならず、それは真の意味では、他人にもっとも多く束縛されることに他ならない。

 

藤沼貴 訳  

L・ヴァン・デル・ポスト 「アフリカの黒い瞳」

どうもわれわれは時間の意味を誤用し、完全に誤解していると思うのです。われわれのヨーロッパ的時間概念は浅薄で未熟であり、時間の充全の本性を無視し、それに対して無知であり、われわれのトラブルの若干は直接この無知に起因しているように思われます。ヨーロッパ人の大半にとって時間というものは、ただ〈いつ〉であるにすぎず、時計のカチカチいう音によって計測される直進する流れであって、さながら時間は水車の上を流れる水のように流れるもので、完全にわれわれ人間の自由になる尺度であって、この尺度に従ってわれわれは約束の日を決めたり仕事の予約を守ったりする。あまりにもこの直進運動にからめとられているために、われわれは、ちょっと立ち止まって、時間というものには内容も本性もあるのかもしれず、時間独自の特有の意味を備えていて、そのため時間は、ただの〈いつ〉だけではなく、〈なに〉でもあり、ひょっとすると、ずっと重要なことには、〈いかに〉でもあり、また〈永遠に至る道〉でもあることを考えようともしない。ですから、このように誤解された時間の内的パターンのどこかに組み込まれて、生命自体の巨匠的建築家〔造物主〕の青写真が存在しており、これは存在の究極の意匠を描いた地図であって、それに従ってわれわれの生存が体をなす時間の造作への人間のユニークなかかわりを不断に伝え続けているのだ、とわたしは考えたい。

 

由良君美 佐藤正幸 訳    

L・ヴァン・デル・ポスト 「アフリカの黒い瞳」

わたしたちは人間の出来事のなかの生得の生ける有機的な時間を活用しようとしないのですから、せっかくの宝も絶えまなくもちぐされとなる状態なのです。わたしたちはできもしないのに性急な解決を強行しようとし、明日にならねば生まれてこぬものを、今日産めと命令しようとする。評議や決定において、時間の道理に叶った役割を無視したがために生じた失敗の顕著な事例は世界中に満ち満ちております。十ヶ月かけねばならないところを十週間で良質かつ優秀な仔牛をつくろうとしたりして、その過程で起るのは、はてしない流産だけなのです。

 

ところで〈時間〉にはことのほか大きな現実的重要性を持つ別の意味もあります。と申しますのは、〈時間〉とは類のない精神の道程だからなのです。時間は延々と続く道であり、そこから太陽が朝ごとに昇る道であるばかりでなく、何年も前の百万もの光を打ち負かしたひとつの星の輝きが、ひっそり閑とした深夜にはるばる旅してきた疲れ切った旅人の前に現われる道でもあるのです。時間は沙漠の道であり、人間の悩む隊商に仮象の意味の告知が訪れ、見知らぬ者のように、人間の手をゆらめく焚火であたためさせてやろうとして訪れる沙漠の道でもあるのです。時間は大平原でもあり、精神にとっては無意識なものが、意識のなかに、旅路の果てに入り込んでくるところでもあります。何にもまして時間はリズムであって、これなしには人間の心に音楽はありません。時間は生き、全体であらんとするための精神の意志なのです。これは神秘主義ではありません。人間の意識が生命という絶えざる秘儀にぶつかり、通り過ぎるときに、使わざるを得ないような言語なのです。それはまさしく純然と〈神秘的〉なものなのです。なぜなら、生命とはその核心においてまったく神秘そのものであり、したがって、本然の信念であり依拠の問題でもあるからです。神秘を根本的なところで認めるのでなければ、わたしたちの意識は、実在の生動する相応の相から離れてしまい、極端に走り、その要求は尊大傲慢に走ってしまうことにもなるのです。驚異の感覚こそ、わたしたちには不可欠なのです。と申しますのも、それこそ、わたしたちの全体性の一部であって、わたしたちを謙遜にしてくれ、わたしたちの精神をあるべき位置に保ってくれるものだからです。過去数世紀の間にわたしたちはあまりにも一方的に科学に走り過ぎてしまいました。その結果生じたはなはだ有害な副産物の一つは、人間における生命の神秘の意味が除外され、わたしたちの意識的知覚の範囲外にあるあらゆる感情を軽蔑する傾向が生じたことです。

  

由良君美 佐藤正幸 訳

L・ヴァン・デル・ポスト 「アフリカの黒い瞳」

  わたしがこれまで会ったなかで、最も純朴かつ賢明なアフリカの年老いたハンターが、かつてわたしに話してくれたことがございました。「アフリカの白人と黒人との違いは、白人は『所持しており』、黒人は『存在している』ところにあるのだ」。一言で言えばここに今回の騒動の第一原因がまずあるのです。それは先程言いましたように、アフリカだけでなく、世界中至る所にあるのです。それは何かと申しますと、人は「所持する」こと以前に「存在している」のだということが少しもわかってはいないことなのです。「所持すること」は「存在すること」の代替物ではありません。

*今回の騒動=マウマウ運動

 

由良君美 佐藤正幸 訳    

ビクター・マイヤー=ショーンベルガー ケネス・クキエ 「ビッグデータの正体」第1章

  人間の社会は、これまで何千年にもわたり人間の行動を解明し、おかしなことをしないように常に目を光らせてきた。しかし、コンピュータのアルゴリズムは何をしでかすかわからない。コンピュータ時代に入って当局者は、プライバシー侵害の脅威を感じ取り、個人情報保護のための膨大な規則を築き上げた。ところがビッグデータの時代になると、そんな規則は防御線として何の役にも立たなくなる。すでに人々はネット上で積極的に情報共有している。だいいち、今どきのオンラインサービスでは、共有機能がセキュリティ上の脅威どころか、客寄せの目玉になっているほどだ。

 

  これから我々個人にとって怖いのは「プライバシー」よりも「確率」となる。心臓発作を起こす(=医療保険が上がる)とか、住宅ローンの返済が焦げ付く(=今後の融資を渋られる)とか、罪を犯す(=逮捕される)といった可能性も、アルゴリズムが予測する。となれば、「人間の神聖なる自由意志」か、はたまた「データによる独裁」かという、倫理問題にまで発展する。たとえ統計によるご託宣があったとしても、個人の意志はビッグデータに打ち勝つことができるのか。印刷機が出現したからこそ、表現の自由を保障する法律が生まれた。それ以前は保護すべき表現はほとんどなかった。おそらくビッグデータの時代には、個人の尊厳を守る新たなルールが必要になる。

 

斎藤栄一郎 訳    

ビクター・マイヤー=ショーンベルガー ケネス・クキエ 「ビッグデータの正体」第2章

  あるコミュニティ内で多くの接点を持つ人がいなくなると、残った人々の交流は低下するものの、交流自体が止まることはない。一方、あるコミュニティの外部に接点を持つ人がいなくなると、残った人々はまるでコミュニティが崩壊してしまったかのように、突如として求心力を失う。
  注目に値する話で、まったく予期していなかった結果だ。ある集団内の交友関係を盛り上げているのは、その集団内に親友の多い人だろうと思われがちだが、実は、集団外部の人々とつながりを持つ人間のほうが盛り上げ役になっていたのだ。つまり、集団や社会の中では、多様性がいかに大切であるかを物語っている。
アルバート=ラズロ・バラバシによる分析結果

 

斎藤栄一郎 訳    

ビクター・マイヤー=ショーンベルガー ケネス・クキエ 「ビッグデータの正体」第4章

  ビッグデータの時代が成熟すれば、相関分析による新たな洞察力が生まれ、予測の効果が高まる。過去には見えなかったつながりが見えはじめ、どれほど努力しても把握しきれなかった技術や社会の複雑な力学が把握できるようになる。何より重要なのは、相関を使って「理由」よりも「答え」を問うようになれば、世の中を理解する一助となる点だ。

 

「因果関係」がお払い箱になるわけではないが、知の源泉としての主役の座は追われることになる。かたやビッグデータは、非因果性の分析の追い風となっており、因果分析に取って代わる場面も増えている。

 

斎藤栄一郎 訳    

ビクター・マイヤー=ショーンベルガー ケネス・クキエ 「ビッグデータの正体」第8章

  これまでのようにプロファイリングを実施するにせよ、差別的な側面をなくし、もっと高度に、個人単位で実行できるようになる。それがビッグデータに期待できるメリットだ。そう言われると、あくまで良からぬ行為の防止が狙いなら、受け入れてもよさそうな気がする。しかし、まだ起こってもいない行為の責任を取らせたり、制裁を加えたりする道具にビッグデータ予測が使われるとすれば、やはり危険このうえない。
  個人の性格や傾向を基に罰するという考え方には、強い嫌悪感を覚える。将来、何かしでかしそうというだけで人を指弾するのは、正義を根底から覆すものだ。責めを負わせる以上、その原因となる行為が先に発生していなければならない。良からぬことを想像するだけなら違法ではない。行為に及んで初めて法に触れるのだ。個人が選択・実行した行為に対して、個人の責任が問われる。それが我々の社会の基本ではないか。
  ビッグデータ予測が完璧で、アルゴリズムが我々の未来を寸分違わずはっきりと見通せるなら、我々の行動にはもはや選択の余地など存在しないことにならないか。完璧な予測が可能なら、人間の意思は否定され、自由に人生を生きることもできない。皮肉なことだが、我々に選択の余地がないとなれば、何ら責任を問われることもない。 

 

  そのようなシステムがあれば、社会は安全になったり、効率化したりするかもしれないが、人間が人間たる所以はもろくも崩れ去る。自ら行動を選択し、その責任を自ら負う。それが人間を人間たらしめている根幹ではないか。ビッグデータは、社会での人間の選択の集団主義化をもたらし、自由意志を断念させる道具になってしまう。
  言うまでもなく、ビッグデータには数々のメリットがある。人間性抹消の兵器になってしまうのは、欠陥があるからだ。それもビッグデータ自体の欠陥ではなく、ビッグデータによる予測結果の使い方の欠陥である。予測された行為について実行前に責任を負わせることからして大問題だが、とりわけ、相関関係に基づくビッグデータ予測を使っていながら、個人の責任については因果的な判断を下している。問題の核心はここにある。

 

斎藤栄一郎 訳  

ビクター・マイヤー=ショーンベルガー ケネス・クキエ 「ビッグデータの正体」第9章 第10章

原子力からバイオまで多くの分野に言えることだが、人類は最初にツールを作り出し、やがてそれが我々に害をもたらしかねないことに気付く。その後、ようやく安全確保の仕組みづくりに乗り出す。ビッグデータも、絶対的な解決策のない難題をいずれ我々に突きつけることになる。世の中をどう統制するのかという永遠の課題だ。


ビッグデータは、意思決定、運命、正義といった要素まで一からの見直しを我々に突きつける。さまざまな根拠を背景に成り立っているはずの世界観が、圧倒的な相関関係によって脅かされている。知識を身に付けることとは、かつては過去を知ることだった。ところが、未来を予測する能力に取って代わられようとしている。

 

斎藤栄一郎 訳  

中野剛志 「グローバリズムが世界を滅ぼす」より

  ちなみに、新自由主義を採用すると、不思議なことに政権が長続きする。たとえばサッチャー政権、レーガン政権、小泉政権です。格差を生み、弱者を増やす新自由主義の政権は、一見、国民の支持を得られずに短命で終わるように思われます。しかし、妙なことに長期政権が多い。
  なぜかといえば、なすに任せよの新自由主義を掲げて選挙に勝ち、政権の座に就いたので、政策の結果がどうなろうと責任を負わなくていいからです。したがって、いくら格差の拡大を責め立てても、政権側は「自己責任ですから」と言い逃れる。あるいは、「市場原理ですから。政府は何もできないので、仕方がないのです」と弁明する。選挙民としては政権を批判する口実を失ってしまうのです。  

エマニュエル・トッド 「グローバリズムが世界を滅ぼす」より

  自由貿易が生み出す根本の問題は、経済活動の実践の仕方である前に、一つのイデオロギーです。どういうことかというと、企業が、自分たちは国内市場のために生産するのではなく、外部市場のために生産するのだという考えに傾いていくのです。
  こうした状況では、輸出貿易をめざす国の企業は、その当然の傾向として、また正当な傾向とさえいえると思いますが、だんだんと賃金を純粋なコストと見なすようになります。賃金は内需に貢献する要素であることをやめてしまいます。それは純粋なコストとなり、すると企業は、賃金コストの削減に入っていきます。  

リルケ 「リルケ全集第4巻」

夜の散歩


何ものも比較することはできない。なぜならそれ自身とだけで
全体でないものとは何だろう、そして発言され得るものとは。
私たちは何ものをも名づけないで ただ耐えていれば
了解し合うことができる。そこでは輝きが
そしてあそこで眼差しが、おそらく私たちにふれたのだ、
あたかもそのなかに 私たちの生命あるものが
生きていたかのように。反抗する者には
世界は与えられない。多くを理解しすぎる者には
永遠は通りすぎてゆく。ときには
このような大いなる夜々のなかで 私たちは
危険の外にいるかのようだ、同じかろやかな部分になり
星々に配分されて。なんと星々が迫ってくることか。


小松原千里 内藤道雄 塚越敏 小林栄三郎 訳  

リルケ 「リルケ全集第3巻」

別れを告げよう、ふたつの星のように


別れを告げよう、ふたつの星のように。
距離で自らの存在を確かめ もっとも遠いもので
自らを認識する、そういう近さでもある
あの圧倒的な夜の空間に分け隔てられた ふたつの星のように。


小林栄三郎 訳  

リルケ 「リルケ全集第3巻」

海の歌
          カプリ、ピッコラ・マリナ


海から吹いてくる太古の風、
夜の海風、——
       おまえは 誰のところにも吹いてくるのではない、
誰か目覚めているものがあるならば、
どのように おまえに耐えうるものかを
知らねばならぬだろう。
       海から吹いてくる太古の風、
それは ただ根源の岩石のために
吹いてくるようだ、
ただただ空間ばかりを
遠くのほうからひき寄せながら……

 

おお、おまえをどう感じているのだろう、
うえの高みで 月の光を浴びて立っている
一本の、実を結ぶ無花果の樹は。

 

塚越敏 訳  

リルケ 「リルケ全集第3巻」

錬金術師 


奇妙な笑いをうかべ 実験室の彼は
やや落ちついて煙をあげているフラスコを押しやった。
いとも高貴なものが フラスコのなかに生ずるには
なお なにを必要としたか いま 彼は知った。

 

彼は時間を必要としたのだ。数千年を
おのれと 煮えたつフラスコとのために。
脳髄のなかには天体の星座が 拡がった、
意識のなかには すくなくとも 海が。

 

彼は 自分が望んでいた途方もないものを
この夜 放棄したのであった。それは
神のもとに それのもとの規準に戻った。

 

だが 彼は 、飲んだくれのように口ごもり、
秘密の棚に寝そべって、金の小片を
切に所望して、彼は それを所有した。

 

塚越敏 訳