本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

東宏治「ムーミンパパの『手帖』」トーベ・ヤンソンとムーミンの世界

  心のなかに所有するとは、つまり記憶することであるが、それを不用意にことばにして喋ってしまうと(つまり形式化すると)、今度はそのことば(形式)だけが記憶に残って生きながらえ、美しいものの記憶が消えてしまう。美はそれほどに脆いものなのだ。しかし、そもそも記憶自体も脆いものであって、ことばにしないで所有しているつもりの美しいものの記憶もまた、やがては消えてしまうだろう。そういうとき、ことばという形式をまとわせておけば、その美しいものの記憶をよみがえらせるための、開けごまの呪文のようなものになるかもしれない。ここに、美しいものをめぐって、沈黙することとことばにすることとの間のジレンマがあるのだ。その解決のための方法は、いつかは決定的なことばにするにしても、それをぎりぎりまでのばすことだろう。そしてその間に、何度も何度も、沈黙したままで「美しいもの」(書くべき対象)を思い出すことだろう。ことばにしないで対象(美しいものの記憶)を何度も思い出すことは、いわば美しい壺のまわりをぐるぐると見てまわるようなもので、それまで気づかなかった面も見えるようになり、その書くべき対象に奥行きを与えるということだ。