本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

中島義道「ひとを〈嫌う〉ということ」

  善人とは他人と感情を共有したい人のことです。他人が喜ぶときには共に喜び、悲しむときには共に悲しむ。自分が喜ぶときも、他人も同じように喜んでもらいたい。自分が悲しいとき、他人も同じように悲しんでもらいたい。こうして、たえずとりわけ近い他人のことを心配し、気にかけ、成長を楽しみにし、失敗しないかとはらはらし……そして成功するとわがことのように喜ぶ。失敗してもいい。無念の涙を流してくれれば。しかし、失敗して平然としていてはならない。成功して傲慢になってもいけない。小成に安んじてもいけない。ああしてもいけないこうしても駄目だ、と全身目にして期待を寄せる。

  しかし、ここに留まりません。彼ら(近い他人)も同じように自分を気にかけてもらいたい。期待してもらいたい。自分の人生の一コマ一コマに関して「わがこと」のように一喜一憂してもらいたい。こうして、たえず他人と「同じ感情」を共有することに絶大な喜びを覚える。でないと、たちまち不安を覚えるのです。

  

  いつも個人の信念を確認することにより、それを滑らかに平均化して、毒を抜くことばかりに勤しんでいる。気がついてみると、いつも穏やかな宥和状態が実現されている。それはそれで価値があることですが、真に対立を直視した後の宥和ではありませんから、そこには嘘がある。無理がある。思い込みがある。幻想がある。