本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

スタンダール「赤と黒」

「そっとしておいてくれ、僕は現在申し分のない生活を送っているのだ。君らの瑣末な骨折り話や、みみっちい現実生活の話は、いずれにしろ僕にはうるさいばかりだし、天上から僕を引きずりおろすようなものだ。人間にはそれぞれちがった死にかたがある。僕は僕なりにしか死のことを考えたくない。他人がなんだ?僕と他人との関係などは、まもなくぶっつり断ち切られてしまうんだ。お願いだから、そんな奴らの話はもう二度としないでくれ。判事と弁護士の顔を見るだけで、もううんざりだ」

《けっきょく》と、ジュリアンは自身に言いきかせた。《夢見ながら死ぬのがおれの運命らしい。おれのような無名な人間は、二週間とたたないうちに忘れ去られてしまうにちがいないから、芝居をするなんてことは、はっきりいって、愚の骨頂だ……

  しかし、生涯の幕がおりるまぎわになってから、人生を楽しむ法を会得するなんて、奇妙なことだ》

 

大岡昇平・古屋健三 訳

*死刑判決を待つジュリアンのもとに、友人や恋人がおしかける場面。