本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

老子訳注

「曲がれば則ち全く、
枉まれば則ち直く、
洼めば則ち盈ち、
敝るれば則ち新たなり、
少なければ則ち得、
多ければ則ち惑う」と。
是を以て、
聖人は一(道)を抱いて天下の式と為す。
自ら見ず、
故に明らかなり。
自ら是とせず、
故に彰る。
自ら伐らず、
故に功有り。
自ら矜らず、
故に長く。
夫れ唯争わず、
故に天下能く之と争う莫し。
古の所謂「曲なれば則ち全し」とは、
豈に虚言ならん哉。
誠に全くして而うして之に帰するなり。


「くねくね曲がっているとかえって完全さを保てる、かがんでいるとかえってまっすぐに伸びることができる、低いとかえって満ちてあふれることができる。古くさいとかえって珍しがられ、(知識が)少ないとかえって収穫があり、(知識が)多いとかえって迷う」。
こういうわけで、「聖人」は「道」(一)を天下の運命を観察する道具[栻]とする。自分の目だけにたよらない、だからこそはっきりとわかる。自分が正しいとしない、だからこそ是非がはっきりする。みずから誇らない、だからこそ成功する。うぬぼれない、だからこそ導くことができる。まさに人と争わない、だからこそ天下にかれと争って勝てる人はだれもいないのだ。いにしえのいわゆる「くねくね曲がっているとかえって完全さを保てる……」(このことば)はどうしてでたらめだろうか。これで人はほんとうに完全さが保てるのだ。

坂出祥伸・武田秀夫