本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

角幡唯介「極夜行」

  ところが光がないと、心の不安の源である空間領域におけるリアルな実体把握が不可能となる。周囲の山の様子が見えないと、当然、自分が今どこにいるか具体的に分からない。居場所が分からなければ、近い将来、正しくない場所に行ってしまったり家に帰れなかったりする危険があるわけで、その結果、具体的な未来の自分の行動が予測不可能となり、明日生きている自分をリアルに想像できなくなる。つまり地図の中で自分の居場所が分からないと、単に空間的な存立基盤を失うだけでなく、自分の将来がどうなるか分からなくなることになり時間的な存立基盤も同時に失うわけだ。つまり闇は人間から未来を奪うのである。

  闇に死の恐怖がつきまとうのは、この未来の感覚が喪失してしまうからではないだろうか。闇は人間の歴史のなかで常に冥界や死と関連付けられてきたが、その恐怖の本質は闇そのものにあるのではなく、自己の内部で漠然と構築されていた生存予測が闇によって消滅させられてしまうことにあるのだ。