本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

角幡唯介「極夜行」

  この現実の経験世界に存在するあらゆる事物と同様、人間の存在もまた時間と空間の中にしっかりとした基盤をもつことで初めて安定する。安定するためには光が必要である。なぜなら光があれば自己の実体を周囲の風景と照らしあわせて、客観的な物体としてその空間の中に位置づけることができるからである。たとえば周囲の山の様子が見えれば、あの山とこの山の中間ぐらいに自分は立っているというふうに、今の自分の空間的位置づけを客観的かつリアルな実体として把握することができるだろう。そしてリアルに空間把握できれば、あの山とこの山の中間にいるから、今日はその間の川を下って海に釣りにでも行こう、などと未来の自分の行動を組み立てることもできる。このように具体的に未来予測できれば、少なくともその予測している期間の自分を生きている実体として想像できるわけだから、その間は死の不安から解放される。このように光があると人間の存立基盤は空間領域において安定し、同時に時間領域においても安定し、心安らかに落ち着くことができる。光は人間を見通す力と心の平安を与えるのである。それを人は希望という。つまり光とは未来であり、希望だ。