本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

ジョルジュ・バタイユ「純然たる幸福」

  人は、民衆文化という言葉を用いるときには、一般に最も広まっているが初歩的である文化、接近不可能とみなされている深さを排除している文化のことを考える。人は、文化を民衆の手に届く範囲に置こうとすると、すぐに文化に可能なものの限界を与えてしまい、不可能なものを追求する姿勢を文化から取り除いてしまう。そうするのは正しいとも言える。というのも一般に知的な文化は民衆にとってほとんど価値を持たないからだ(これは独学者がたくさんいるスペインではさほど明確に言えることではない)。が、実際のところは現代の文化は、諸階層に分裂し各階層が精神の面で無縁になっている社会の文化なのである。精神の面で、資本主義社会の下層階級は、もろもろの封建制社会の下層階級よりもずっと分裂している。現代社会の文化は、もっぱら中流ないし上流階級の所産である。そのうえこの文化は、混成の産物なのだ。この文化は、策略を弄して貴族階級の遺産を保存している。現代社会の諸欲求を直接的に表現している文化は、技術的、科学的であり、精神の次元では人道主義的であり実践的である。われわれの時代の真の文化的な富は、だからむしろ、社会の分裂と病いの表現になっているのである。一個の人間が産業の発展と無関係の生を持っているなどということは今日ではほとんどありえない。われわれは、ある時、産業の発展に縛られて、産業の発展を忠実に表現している。別な時にはわれわれは産業の発展を避けて逃避する。そして産業の発展によって、独善的な、あるいは病的な世界へと打ち捨てられてしまうのだ。

 

酒井健 訳