本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

オイゲン・ヘリゲル「弓と禅」

  日本の弟子は三つのことを身につけてくる。善いしつけと、自分の選んだ芸術に対する情熱的な愛と、師に対する批判抜きの尊敬とである。師弟関係は昔から生の基礎的な結合であり、それゆえ師はその教授科目の枠をはるかに超えて、強度の責任をとることが、この関係の中に含まれているのである。
  まず弟子は最初、師がやって見せることを、良心的に模倣すること以外には、何一つ要望されることがない。師は長ったらしい説教や理由付けを嫌って、簡潔な教示をするにとどめ、弟子が質問することなどは勘定に入れていない。彼は弟子の模索的な数々の骨折りを落ちつきはらって静かに眺めており、別に弟子の独立心や創意工夫を期待しないが、弟子が成長し成熟するのをじっと待っている忍耐心を持っている。両者共に時間をたっぷり持っており、師はせきたてず、弟子はあわてて手をさし出さないのである。
  時期尚早に弟子を芸術家に目覚めさせようなどとは毛頭考えず、師は彼を、手業が無上によくできる有能者に仕立てることを、自分の最初の使命と考えている。弟子はたゆまぬ勤勉によって師のこの意図に添おうと努める。彼はまるでそれ以上の高い要求は全然持っていないかのように、いわば自分に愚鈍な心服状態を背負わせる。こうして彼は、何年か経って初めて、完全に自己のものとした形式が、もはや自分を圧迫せず、かえって自己を解放するという経験を持つようになるのである。彼は一日一日と次第に容易に、どんな芸術的霊感にも、技術的には造作なく従うことができるようになる、が同時にまた心をこめた観察の中から、霊感をぞくぞくわかせることもできるようになる。

 

稲富栄次郎・上田武 訳