本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

ラッセル「幸福論」第17章

牢獄にいて幸福だというのは、およそ人間の本性ではない。そして、私たちを自己の殻にとじこめる情念は、最悪の牢獄の一つとなる。そういう情念のうち、最もありふれたものをいくつか挙げるなら、恐怖、ねたみ、罪の意識、自己へのあわれみ、および自画自賛である。これらすべてにおいて、私たちの欲望は自分自身に集中している。すなわち、外界に対する真の興味はみじんもなくて、あるのはただ、外界がどうにかして自分を傷つけはしないか、自分の自我をはぐくむことをやめはしないか、という気づかいのみだ。人があんなに事実を認めるのをいやがり、あんなに神話の温かい衣にくるまっていたがる理由は、主に恐怖である。しかし、イバラが温かい衣を引き裂き、冷たい風が裂け目からしみこんでくる。そこで、神話の衣の温かさに慣れっこになった人は、最初から冷たい風に対して体を鍛えてきた人よりも、風の冷たさが格段に身にしみるわけだ。その上、自らを欺いている人びとは、通例、内心ではその事実に気づいていて、何か都合の悪い事件が起きて、不愉快な事実を思い知らされるのではないか、と始終おびえながら暮らしている。
  幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人である。

安藤貞雄 訳