G・ガルシア=マルケス 「コレラの時代の愛」
夫に仕えることでたしかに幸せを手に入れることができたが、死なれてはじめて、自分というものがないことに気がついた。あの家は一夜にしてだだっ広くてさみしい他人の家に変わり、彼女はそこに住みついた亡霊のようにさまよい歩きながら、本当に死んでしまったのは亡くなった夫と一人残された自分のどちらだろうと考えてやり切れない気持ちになった。夫は大洋の真ん中に自分を一人残してあの世へ旅立っていった。そんな夫に対する恨みがましい思いを捨て去ることができなかった。
木村榮一 訳