本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

スベトラーナ・アレクシエービッチ 「チェルノブイリの祈り」第3章

  それが起きたのは金曜日の夜から土曜日にかけてのことです。朝、だれもなにひとつ疑ってみませんでした。私は息子を学校におくりだし、夫は床屋に行きました。昼食のしたくをします。まもなく夫が帰ってきて「原発が火事らしい。ラジオを消すなという命令だ」という。いい忘れましたが、私たちはプリピャチ市に住んでいました。原発のすぐ近くに。暗赤色の明るい照り返しが、いまでも目のまえに見えるんです。原子炉が内側から光っているようでした。ふつうの火事じゃありません。一種の発光です。美しかった。こんなきれいなものは映画でも見たことがありません。夜、人々はいっせいにベランダにでました。ベランダのない人は友人や知人のところに行ったのです。私のアパートは九階建てで、見晴らしが抜群でした。子どもたちをつれだして抱き上げ「さあ、ごらん。覚えておくんだよ。」それも、原発で働いている人たちが。技師、職員、物理の教師が……。悪魔のちりのなかに立ち、おしゃべりをし、吸いこみ、みとれていたんです。ひと目見ようと何十キロもの距離を車や自転車でかけつけた人たちもいた。私たちは知らなかったのです。こんなに美しいものが、死をもたらすかもしれないなんて。確かににおいはありました。春のにおいでも、秋のにおいでもない、なにかまったくほかのにおい。地上のにおいではありませんでした。のどがいがらっぽく、涙が自然にでてきました。

 

松本妙子 訳