パスカル 「パンセ」ブランシュヴィック版 135
人は、いくつかの障害と戦うことによって安息を求める。そして、もしそれらを乗り越えると、安息は、それが生み出す倦怠のために堪えがたくなるので、そこから出て、激動を請い求めなければならなくなる。なぜなら、人は今ある悲惨のことを考えるか、我々を脅かしている悲惨のことを考えるかのどちらかであるからである。そして、かりにあらゆる方面に対して十分保護されているように見えたところで倦怠が自分勝手に、それが自然に根を張っている心の底から出てきて、その毒で精神を満たさないではおかないであろう。
前田陽一 責任編集