本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

M.マクルーハン 「メディア論」第二部

  しかしながら、無文字世界には専門分化した「職業」なるものはない。未開の猟師や漁師は、現代の詩人や画家や思想家が労働をしないのと同じである。全人格が巻きこまれるところに、職業はない。職業は、定住の農耕共同体で労働の分化、機能と仕事の専門化が生じたときに始まった。コンピューターの時代に、われわれはふたたび全面的に流動する「役割」に巻きこまれる。電気の時代には、部族社会におけるように、固定した「職務」が献身と主体的参与に道を譲るのである。
  無文字社会では、貨幣とそれ以外の社会の諸機関との関係はきわめて単純である。貨幣の役割が膨大になったのは、それが社会の諸機関の専門化と分離を培い始めてからのことだ。実際、貨幣は、文字社会のますます専門分化していく活動を相互に関連させる主要な手段となる。文字文化が視覚をそれ以外の感覚から分離するのであるが、いま電子工学の時代になって、視覚の断片化力はいっそう突きとめやすい事実となっている。コンピューターと電気によるプログラミングの現代、情報を蓄積し移動させる手段がますます視覚的でも機械的でもなくなる一方、ますます統合的で有機的になってくる。瞬間的な電気の形態が生み出す全体の場が視覚化できないのは、電子の動きが視覚化できないのと同じである。瞬間的なものは時間と空間、人間の職業同士のあいだに相互性を生み出すが、古い通貨交換の形態ではますますそれに適合しなくなる。現代の物理学者が原子のデータを組織するときに視覚的な知覚のモデルを使おうとしても、その問題の本質に近づくことができないであろう。時間(視覚的、分節的に測られた)も空間(画一的、絵画的に閉じられた)も、ともに、瞬間的情報をむねとする電子工学の時代には、人は断片化した専門の職務を止めにし、情報の収集という役割を帯びる。こんにち、情報の収集が包括的な「文化」の概念をとり戻すのは、ちょうど、未開の食物採集者がその環境全体と完全に均衡を保ちつつ作業したのと同じだ。この新しい遊牧的で職業のない世界で、いま、なにがわれわれの仕とめるべき獲物かと言えば、人生と社会の創造的なプロセスについての知識と洞察とがそれである。

 

栗原裕 河本仲聖 訳