本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

トーマス・セドラチェク 「善と悪の経済学」第8章

絶えず多くを欲しがるうちに、私たちは労働の楽しみを台無しにしてしまった。あまりに欲しがり過ぎ、あまりに働き過ぎている。現代の文明は、過去のどの文明よりもゆたかではあるが、満足感すなわち「十分」という感覚からはほど遠いという点では、はるか昔の「未発達」な文明に劣るとは言わないまでも、さして変わらない。あらゆる犠牲を払ってでも、つねにGDPを増やし生産性向上させる必要がもしなかったら、つねに「額に汗して」働き過ぎになることはなかったと思わずにはいられない。


すこし前までは、多くを手に入れたら、必要なものや欲しいものは少なくなると考えられていた。だがいまや、それは思い違いだったことがあきらかになっている。持てば持つほどニーズは増えるのである。だから、けっして満たされることはない。経済的に言えば、供給の伸びが新しい需要の伸びに追いつくことはけっしてない。マルサスが気づいていたとおり、伸びに拍車がかかるだけである。経済学者のドン・パティンキンは、「歴史が教えてくれるところによれば、欧米社会は欲望を満足させる手段の開発より速くとは言わないまでも、すくなくとも同じペースで、新たな欲望を創出してきた」と述べている。これでは欲望が満たされるはずがない。ジジェクは、「欲望の存在理由は、それを完全に満たすことではなく、欲望を再生産することにある」と言った。また旧約聖書には、「目は見飽きることはなく、 耳は聞いても満たされない」とある。


持てば持つほど欲しくなるのはなぜだろう。持てば持つほど必要なものは減るという従来の見方は、直観的に頷ける。必要の領域から所有済みの領域へ移るものが増えるほど、必要の領域は縮小するはずだ。そうすれば消費は飽和に、ニーズは満足に達するにちがいない……。だがそうはならず、 むしろ持てば持つほど、もっと必要になった。このことは、20年前には必要としていなかったもの(コンピュータ、携帯電話)と、いまどうしても必要なもの(超軽量ノートパソコン、一年おきに最新型の携帯電話、 モバイル端末の超高速ネット接続)を比べるだけで、すぐに納得がいくだろう。満たされていないニーズは、富裕層のほうが貧困層より少ないはずだが、実際には完全に逆になっている。ケインズは賃金には下方硬直性があると言ったが、まちがいなく消費には下方硬直性がある。消費の梯子は、上るのはたやすいが、下りるのはじつに不快である。満たされた欲望は新たな欲望を生じさせ、結局私たちは欲しがり続けることになる。だから、新しい欲望には注意しなければならない。それは、新たな中毒を意味する。消費は麻薬に似ているからだ。


村井章子 訳