本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

フランコ・カッサーノ 「南の思想」序章

今日、尊大の罪を犯しているのは、世界には経済発展以外の使命はないと考える人々の方である。それ以外の人々は、自分を売り渡さないときには身を守ろうとするものだ、たとえそれが恐怖から生まれた狂暴な態度によってであっても。とすれば、まず一歩譲らなければならないのは、どちらなのだろうか。どちらがまず、相手の首を絞めるのをやめなければならないのだろうか。どちらがまず、それ以外にも人生のすごしかたがあることを認めなければならないのだろうか。それは手段の多様性と神の数限りない名前を、テクノロジーという名の一神教と取り替えてしまったこの世界のほうである。南の思想は声と道と尊厳の多様性をもって行われる抵抗の中に、経済発展の原始的な目には桎梏、限界、悪徳としか見えないものの中に、その存在の根を下ろしている。それは不動で、ゆっくりとしていて、多様な層をなしている生の様式に対する人間の親しみを守るものでなければならない。なぜならそこではインターネットですべてに繋がっているときよりも豊かな関係を取り結ぶことができるし、科学技術の堂々たる保護はそれに劣らず堂々たるさまざまな宗教による保護に歩を譲るのだ。高速歩行の単色のかわりに生が速度をゆるめるときに初めて感じることのできる多様な色彩を。気の短い「リアル・タイム」のかわりに他者との物理的、文化的な距たりの価値——他者の誇りの不可解さ、他者の理解の困難さ、他者に近づくことで生じるリスクの価値を。

 

ファビオ・ランベッリ 訳