本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

トルストイ 「戦争と平和」第3部

  人間はだれでも自分の個人的な目的をとげるために、自由を行使して、自分のために生きており、自分はこれこれの行為をしたり、あるいは、しなかったりすることができると、心底から感じている。ところが、その人間がそれをするとたちまち、時間の流れのある一定の時点で行われたその行為は取り返せないものとなり、歴史の所有になる。そして、歴史の中で、それは自由ではなくて、あらかじめ定められた意味を持つのだ。
  だれでも人間の中には二面の生がある。その利害が抽象的であればあるほど、自由が多くなる個人的な生と、人間があらかじめ定められた法則を必然的に果たしている、不可抗力的な、群衆的な生である。
  人間は意識的には自分のために生きている。しかし、歴史的、全人類的な目的の達成のための無意識的な道具の役をしているのだ。行われてしまった行為は取り返せず、人間の行為は時間の中で他の人間たちの無数の行為と結びついて、歴史的な意味を得る。ある人間が社会の上下関係で高い位置にあればあるほど、多くの人間に結びついていればいるほど、その人間は他の人間たちに対して大きな権力を持つことになり、その一挙一動があらかじめ決定づけられていること、必然的なものであることが、ますますはっきりしてくる。
「皇帝の心は神のみ手にあり」
  皇帝は——歴史の奴隷に他ならない。
  歴史、つまり、人類の無意識的、全体的、群衆的な生は、皇帝たちの生活の一瞬一瞬をすべて、自分の目的のための手段として、自分のために利用する。

 

エピローグ
歴史が対象としているのは、人間の意志自体ではなく、意志についての我々の心象である。

 

藤沼貴