本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

L・ヴァン・デル・ポスト 「アフリカの黒い瞳」

わたしたちは人間の出来事のなかの生得の生ける有機的な時間を活用しようとしないのですから、せっかくの宝も絶えまなくもちぐされとなる状態なのです。わたしたちはできもしないのに性急な解決を強行しようとし、明日にならねば生まれてこぬものを、今日産めと命令しようとする。評議や決定において、時間の道理に叶った役割を無視したがために生じた失敗の顕著な事例は世界中に満ち満ちております。十ヶ月かけねばならないところを十週間で良質かつ優秀な仔牛をつくろうとしたりして、その過程で起るのは、はてしない流産だけなのです。

 

ところで〈時間〉にはことのほか大きな現実的重要性を持つ別の意味もあります。と申しますのは、〈時間〉とは類のない精神の道程だからなのです。時間は延々と続く道であり、そこから太陽が朝ごとに昇る道であるばかりでなく、何年も前の百万もの光を打ち負かしたひとつの星の輝きが、ひっそり閑とした深夜にはるばる旅してきた疲れ切った旅人の前に現われる道でもあるのです。時間は沙漠の道であり、人間の悩む隊商に仮象の意味の告知が訪れ、見知らぬ者のように、人間の手をゆらめく焚火であたためさせてやろうとして訪れる沙漠の道でもあるのです。時間は大平原でもあり、精神にとっては無意識なものが、意識のなかに、旅路の果てに入り込んでくるところでもあります。何にもまして時間はリズムであって、これなしには人間の心に音楽はありません。時間は生き、全体であらんとするための精神の意志なのです。これは神秘主義ではありません。人間の意識が生命という絶えざる秘儀にぶつかり、通り過ぎるときに、使わざるを得ないような言語なのです。それはまさしく純然と〈神秘的〉なものなのです。なぜなら、生命とはその核心においてまったく神秘そのものであり、したがって、本然の信念であり依拠の問題でもあるからです。神秘を根本的なところで認めるのでなければ、わたしたちの意識は、実在の生動する相応の相から離れてしまい、極端に走り、その要求は尊大傲慢に走ってしまうことにもなるのです。驚異の感覚こそ、わたしたちには不可欠なのです。と申しますのも、それこそ、わたしたちの全体性の一部であって、わたしたちを謙遜にしてくれ、わたしたちの精神をあるべき位置に保ってくれるものだからです。過去数世紀の間にわたしたちはあまりにも一方的に科学に走り過ぎてしまいました。その結果生じたはなはだ有害な副産物の一つは、人間における生命の神秘の意味が除外され、わたしたちの意識的知覚の範囲外にあるあらゆる感情を軽蔑する傾向が生じたことです。

  

由良君美 佐藤正幸 訳