本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

チャールズ・A・リンドバーグ 「翼よ、あれがパリの灯だ」

  私の目には、操縦席の闇のなかの変化を感じる。窓の外を見る。あれが同じ星だろうか?これは同じ空だろうか?なんという輝かしさだ!なんという明るさだ!やっと到達した安全!輝き、明るさ、安全だって?しかしこれは、私が出発した同じ地上の時間とつながる、同じくかすんだ大気なのだ。私はただ空間と時間のちがったわくのなかで存在してきているだけだ。価値というのは相対的なものであり、その人間の状況に依存するだけだ。それは一つのわくから他のわくに変わることであり、そのあいだを行ったり来たりするのだ。ここで私は安全を見出し、ここで私は危険を脱し、大きな嵐を飛び越え、極寒の北方洋上を飛んでいるのだ。ここには私がいままで見たことのない何かがある——黒い夜の輝かしい明るさ。
  私はせいぜい十分ほど入道雲のなかにいた。しかしこれは分の単位で計ることのできない出来事である。このような時間でさえ、時間という海に浮かぶ島のようだ。いちばん重要なことは、経験の無限の回想でもなく、また時間や年月の長さではない。それは、どんなに小さかろうと、島なのだ。島は海上で目を引くように、感覚にも深い印象を与えるのだ。それに対しては、岸辺の波のように歳月というものが打ち寄せては砕けるのだ。

 

佐藤亮一 訳