本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

チャールズ・A・リンドバーグ 「翼よ、あれがパリの灯だ」

  私の心は操縦席をはぐれては、またもどる。私の目は閉じたり開いたり、そしてまた閉じたり。しかしおぼろげながら、私の助けにやって来ている新しい要素に気がつきはじめる。それは、私はどうも三つの個性、三つの要素からできあがっており、その各々が一部分は他に頼り一部分は他から独立しているらしい。一つは肉体だが、それはいまこの世で最も求めるものは眠りであることを、はっきり知っている。また一つは私の心だが、それは絶えず、私のからだが従うことを拒否しているのだと判断はしているが、しかしそのこと自体が決心を弱めているのだ。さらにはもう一つほかの要素がある。それは疲労によって弱まるどころか、かえって強くなるように思われるもの——精神的要素ともいうべきもので、この背景のなかから踏み出して、心と肉体の両方を支配する一つの指令を発する力である。それは賢明な父親が子供らを守るように守ってくれるようである。一度は危険の極点までわざと放してやるが、それから断固とした、しかも思いやりのある手で呼び戻して守ってやるのである。
  私のからだが、どうしても眠らなければならないと叫び声をあげると、この第三の要素は答える——ちょっとくつろぐことによって、いくらかの休息は取ることができるかもしれないが、しかしその眠りは取るべきものではないのだ——と。私の心が、からだに手ぬかりなく目を覚ましているように要求するとき、このような状態の下では警戒への期待はあまりに大きすぎるということを知らせる。そして眠れば失敗を招き、やがて墜落して大洋のなかで溺死するということを興奮して主張すればおだやかに納得して、そのとおりだという。しかし肉体の一部の緊張を期待してはならないあいだは、自信を持つことができるので眠らないようになる。
  重い瞼の下で、私の目は完全に肉体から分離し、そのなかは本質の中味がないものとなり、見るというよりは、むしろ意識するためのものになってしまう。目はこの第三の要素の一部となるのだが、この分離した心はわがものでありながらわがものでなく、はるか離れた永遠なるもののなかにあるとともに、私の頭蓋骨の閉じ込められたなかに——操縦席の内部と同時にその外部にあるこの心は、私に結びつきながら、しかもなおどこかの有限の空間に無限に結びついているのだ。
  夜明けと日の出のいとも長きあいだ、われわれはセント・ルイス号を安定した飛行機に作らなかったことを、私はありがたく思う。不安定であればこそ盲目飛行や夜間に正確なコースも保つことを困難にしているのだが、それがいま極端な誤りから私を守ってくれているのだ。それはまた機と私を互いに相補わせることにしているのだ。私が心身ともすがすがしいときは機の積み荷が重くても、私の反応が機敏なため機首がコースから外れるのを防いだものだ。いまの私は夢幻のなかをさ迷い睡魔に悩まされているが、機がコースから外れると私の鈍い感覚をちくりと突いて呼び起こす。操縦桿や方向舵のどちらかへの圧力を少しでもゆるめると、急に上昇をはじめるか、さもなければ急降下旋回をはじめ、私を眠りの境界線から引きもどす。それによって私は羅針盤に目を据えふたたび所定のコースを保つようにする。

 

佐藤亮一 訳