本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

トーベ・ヤンソン 「島暮らしの記録」

  クンメル岩礁灯台守になろうと決意したとき、わたしは小さな子どもだった。じっさいには細く長い光を発するだけの灯台しかなかったので、もっと大きな灯台を、フィンランド湾東部をくまなく見渡して睨みをきかす立派な灯台を建てようと計画を練った——つまり、大きくなって金持ちになったらである。
  しかし、時の流れとともに手の届かぬものへの夢は様変わりし、可能性をもてあそぶ戯れとなり、やがて諦めの悪い不機嫌な執念となり、ついには漁業組合に鮭が肝を潰すからだめだと身も蓋もなく宣告されるにいたり、一件落着となった。
  クンメル岩礁から内陸に二海里半ばかりの海域に、だれも正確には数えあげたことがない小島群がある。そのひとつがブレド岩礁で、わたしたちはここを首尾よく借りうけたのである。
かくも長らく引きずってきた深い失望が、あらたな愛によってかくも速やかに忘れさられようとは、驚いてしまうけれども、ほんとうである。この島に住むようになった者はみな、ほとんど時を移さず、地上の楽園を見いだしたと思いこむにいたった。あれこれ手を加えては島の美しさをひきたてたり、はたまたぶち壊したりしたが、わたしたちの高揚感は揺るがなかった。縮小版とはいえ、なんでもあった。小さな森の径と苔、ボートの安全にはうってつけの小さな砂浜、ワタスゲが群生する小さな沼まであった。どれほど島を誇らしく思ったことか!
  人に羨ましがられたい、見せびらかしたいとも思った。わたしたちが誘うと、人びとは島にやって来た。そして再訪。くる夏もくる夏も、頭数を増やしながら、来訪が繰りかえされる。自分の友人を連れてくる客もあり、友人との決裂を引きずってくる客もあるが、ともかくだれもがじつによく喋る。素朴なもの、現初的なるものへの憧れを、そして何よりも孤独への憧れを吹聴する。
  やがて島は人びとで溢れかえり、トゥーティとわたしはもっと遠い沖合への移動を考えはじめた。

 

富原眞弓 訳