本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 「森の生活—ウォールデン—」むすび

  わたしは森にはいったのと同じぐらいもっともな理由があってそこを去った。どうも、わたしには生きるべき幾つかの別の生活があって、そこの生活にはこれ以上時間をさくことができないような気がしたからであろう。われわれが一つの特殊な筋道にどんなに容易に、そして知らず知らずのうちにはまりこみ、自らのために踏みならされた道をつくるかはおどろくほどである。わたしがそこに住んで一週間とはたたないうちにわたしの足は戸口から池のへりまで小道をつくった。そしてわたしがそれを踏んであるいた頃から五、六年にもなるがまだそれははっきり見わけられる。じっさい、他人もその道におちこみ、それもあって、今までその道がつづいたのではないかともわたしは恐れるのである。土地の表面はやわらかくて人の足によって印しがつけられる。心が旅する路もまた同様である。しからば、世界の公道はいかに踏みへらされ埃っぽくなっていることだろう——伝統と妥協との轍あとはいかにも深くなっているにちがいない!わたしは船室におさまって航行することを好まず、人生のマストの前、甲板の上にあることを欲した——そこでは山々のあいだの月光を最もよく見ることができたから。わたしは現在、下に降りていくことをのぞまない。

  わたしはわたしの実験によって少なくともこういうことをまなんだ——もし人が自分の夢の方向に自信をもって進み、そして自分が想像した生活を生きようとつとめるならば、彼は平生には予想できなかったほどの成功に出あうであろう。彼は何物かを置去りにし、眼に見えない境界線を越えるであろう。新しい、普遍的な、より自由な法則が、彼の周囲と彼の内に確立されはじめるであろう。あるいは古い法則が拡大され、より自由な意味において彼の有利に解釈され、彼は存在のより高い秩序の認可をもって生きるであろう。彼が生活を単純化するにつれて、宇宙の法則はより少なく複雑に見え、孤独は孤独ではなく、貧困は貧困ではなく、弱さは弱さでなくなるであろう。

 

神吉三郎 訳