本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

ヘルマン・ヘッセ 「人は成熟するにつれて若くなる」V.ミヒェルス編

  自然の生命のある現象が私たちに語りかけ、その真実の姿を見せてくれるこのような瞬間を体験すると、私たちが十分年をとっている場合には、喜びと苦しみを味わい、愛と認識を体験し、友情と愛情をもち、書物を読み、音楽を聴き、旅行をし、そして仕事をしてきたその長い全生涯が、まるで、ひとつの風景、一本の木、ひとりの人間の顔、一輪の花の姿に神が示現し、一切の存在と事象の意味と価値が示されるこのような瞬間への、長いまわり道以外の何ものでもなかったように思われるであろう。
  そして事実、私たちが若いころに、花の咲いている木や、雲の形のできかたや、雷雨などの光景を見て、老年におけるよりももっと強烈な、燃えるような体験をしたとしても、私の言っているような体験をするためには、やはり高齢であることが必要である。数知れないほどたくさんの見てきたものや、経験したことや、考えたことや、感じたことや、苦しんだことが必要なのだ。自然のひとつのささやかな啓示の中に、神を、精霊を、秘密を、対立するものの一致を、偉大な全一なるものを感じるためには、生の衝動のある種の希薄化、一種の衰弱と死への接近が必要なのである。若者たちもこれを体験しないわけではないが、ずっと稀なことはたしかである。若者の場合は、感情と思想の一致、感覚的体験と精神的体験の一致、刺激と意識の一致がないからである。

 

  老年は、私たちの生涯のひとつの段階であり、ほかのすべての段階とおなじように、その特有の顔、特有の雰囲気と温度、特有の喜びと苦悩を持つ。私たち白髪の老人は、私たちよりも若いすべての仲間たちと同じように、私たち老人の存在に意義を与える使命を持つ。ベッドに寝ていて、この世からの呼びかけがもうほとんど届かない重病人や、瀕死の人も、彼の使命をもち、重要なこと、必要なことを遂行しなければならない。年をとっていることは、若いことと同じように美しく神聖な使命である。死ぬことを学ぶことと、死ぬことは、あらゆるほかのはたらきと同様に価値の高いはたらきである——それがすべての生命の意義と神聖さに対する畏敬をもって遂行されることが前提であるけれど。老人であることや、白髪になることや、死に近づくことをただ厭い、恐れる老人は、その人生段階の品位ある代表者ではない。自分の職業と毎日の労働を嫌い、それから逃れようとする若くたくましい人間が、若い世代の品位ある代表者でないのと同様に。

 

岡田朝雄 訳