本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

ヘルマン・ヘッセ 「人は成熟するにつれて若くなる」V.ミヒェルス編

私たちは苦しみと病を体験した。私たちは死によって多くの友人たちを失った。そして死は、私たちの窓を外から叩くだけでなく、私たちの内部でも仕事をし、その仕事をはかどらせた。かつてはあんなにあたりまえのものであった生は、ひとつの高価な、常に脅威にさらされている財産となった。あの当然私たちのものだと思っていた所有物は、期限不定の貸与物に変わってしまった。
けれど、解約告知期限の決まっていないこの貸与物は、けっしてその価値を失ったのではない。それが危険にさらされているという事実は、その価値を高めた。私たちは依然と同じように生命を愛している。そして人生には特に、素性のよいワインのように、年とともにコクと価値を減ずるどころか、かえって増大する愛情と友情があるので、私たちは人生に忠実でありつづけようと思うのである。

死に対して、私は昔と同じ関係をもっている。私は死を憎まない。そして死を恐れていない。私が、妻と息子たちに次いで誰と、そして何と最も多く、最も好んでつきあっているかを一度調べてみれば、それは死者だけであること、あらゆる世紀の、音楽家の、詩人の、画家の、死者であることがわかるだろう。彼らの本質はその作品の中に濃縮されて生きつづけている。それは私にとって、たいていの同時代人よりもはるかに現在的で、現実的である。そして私が生前知っていた、愛した、そして「失った」死者たち、私の両親ときょうだいたち、若い頃の友人たちの場合も同様なのである——彼らは、生きていた当時と同様に今日もなお私と私の生活に属している。私は彼らのことを思い、彼らを夢に見、彼らをともに私の日常生活の一部とみなす。このような死との関係は、それゆえ妄想でも美しい幻想でもなく、現実的なもので、私の生活に属している。私は無常についての悲しみをよく知っている。それを私はあらゆる枯れてゆく花を見るときに感じることができる。しかしそれは絶望をもたぬ悲しみである。


兄弟である死
私のところへもおまえはいつかやって来る
おまえは私を忘れない
そうすれば苦しみは終わり
鎖は断ち切れるのだ

まだおまえは縁遠くはるかなものに見える
愛する兄弟である死よ
おまえはひとつの冷たい星となって
私の苦境の上空に輝いている

けれどいつかおまえは近づいて来て
炎を上げて燃えるだろう——
来るがいい 愛する兄弟よ 私はここにいる
私を連れて行け 私はおまえのものだ


岡田朝雄 訳