本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

トマ・ピケティ 「21世紀の資本」第III部 格差の構造

第10章 資本所有の格差
伝統的農耕社会と、第一次世界大戦以前のほぼすべての社会で富が超集中していた第一の原因は、これらが低成長社会で、資本収益率が経済成長率に比べ、ほぼ常に著しく高かったことだ。
たとえば成長率が年約0.5-1パーセントと低い世界を考えよう。18、19世紀以前はどこでもその程度の成長率だった。資本収益率は、一般的には年間4、5パーセントほどなので、成長率よりもかなり高い。具体的には、たとえ労働所得がまったくなくても、過去に蓄積された富が経済成長よりもずっと早く資本増加をもたらすわけだ。


経済成長は人類の歴史の大半を通じてほぼゼロだった。人口動態を経済成長と組み合わせれば、古代から17世紀までの長い間、年間経済成長率は0.1-0.2パーセント以下だったと言える。多くの歴史的不確実性はあるが、資本収益率が常にこれより高かったのはたしかだ。年間資本収益率の長期的中央値は4-5パーセントだ。特に多くの伝統的農耕社会では、これは土地からの収益率となる。もしももっと低い純粋な資本収益率の推定値を受け入れたとしても、最低限の資本収益率として少なくとも年間2-3パーセントは残り、依然として0.1-0.2パーセントよりはずっと大きい。このように、人類は歴史の大半を通じて、資本収益率は常に生産(そして所得)成長率の少なくとも10倍から20倍は大きかったというのは、避けられない事実だ。


税引後の純粋な資本収益率は1913-1950年には1-1.5パーセントにまで低下し、経済成長率よりも低くなった。この新たな状況は例外的に高い経済成長率によって1950-2012年まで続いた。結果的に、20世紀には財政的、非財政的ショックの両方によって、歴史上初めて、純粋な資本収益率が経済成長率よりも低いという事態が生まれた。状況の連鎖(戦時の破壊、1914-1945年のショックが可能にした累進課税政策、第二次世界大戦後の30年間の例外的成長)が、歴史上類を見ない事態を生み出し、それがほぼ1世紀近く続いた。でもどの指標を見ても、この状況の終わりは近いようだ。国家間の税制競争がその論理的帰結まで進むなら——実際そうなるかもしれない——rとgの差は21世紀のどこかの時点で、19世紀に近い水準に戻るだろう。
*r=資本収益率 g=成長率


資本収益率が常に際立って成長率よりも高いという事実は、富の不平等な分配を強力に後押ししている。


第11章 長期的に見た能力と相続
私が本書で強調してきた格差を拡大させる基本的な力は、市場の不完全性とは何の関係もなく、市場がもっと自由で競争的になっても消えることのない、不等式r>gにまとめられる。制限のない競争によって相続に終止符が打たれ、もっと能力主義的な世界に近づくという考えは、危険な幻想だ。普通選挙権の到来と財産に基づいた投票資格が終わったことで、金持ちによる政治の合法的な支配は終わった。でもそれが、不労所得生活者社会を生み出しかねない経済力を無効にしたわけではないのだ。


山形浩生 守岡桜 森本正史 訳