本を掘る

これまで読んだ本から一節を採掘していきます。化石を掘り出すみたいに。

トーマス・シェリング 「ミクロ動機とマクロ行動」第5章

プライバシーを大切にする人は、プライバシーを大切にする人と付き合う。必ずしもその人が好きだからではなく、プライバシーが守られるからだ。犬が嫌いな人は、犬嫌いな人といることを好む。必ずしもその人が好きだからではなく、単に犬がいないからだ。に…

L・ヴァン・デル・ポスト 「影の獄にて」剣と人形

子供のころからすでに彼女は、自分自身の運命がどう転ぼうと、人生は生きる価値があることを証してくれるにちがいないと信じて疑わなかったという。ほんの一年まえ、ナチがオランダを占領し、彼女はそれから逃れてきたのだが、その占領に続いた絶望の崩壊の…

L・ヴァン・デル・ポスト 「影の獄にて」種子と蒔く者

こんな調子で時がたった。わたしの戦闘の腕はメキメキ上達した。とりわけ、いま話したような急襲が得意だったために、大隊から選抜されて、敵の戦線のずっと後方にまわる急襲計画の立案と指揮をやらされることになった。急襲から戻ってくると、息抜きの休暇…

L・ヴァン・デル・ポスト 「影の獄にて」種子と蒔く者

セリエは語り出していた。「不思議だな、あの星はぼくのあとを追ってくるようだ。冬、アフリカの高地平原の空に昇ったところか、ベツレヘムの手前の丘陵の上に出たところを、見せたいね。バンタムのジャングルで真昼に見つけたこともある——でも、今夜ほど綺…

L・ヴァン・デル・ポスト 「影の獄にて」種子と蒔く者

「ね、分るだろう」とロレンスは感きわまった低い声で言った。「はるかな古里で弟が兄のなかに蒔いた種子は、沢山の土地に植えつけられたんだよ。あのジャワの捕虜収容所にもね。そうなんだ、日本兵がセリエをあんなふうに殺したことだってね、実は知らず知…

L・ヴァン・デル・ポスト 「影の獄にて」影さす牢格子

どことなく類人猿を思わせる、先史時代物のハラの顔は、ロレンスがかつてみたことのない美しいものに変わっていた。その顔、その古代の瞳に宿る表情。あまりにも心を動かされた彼は、思わずもう一度、独房のなかに戻ってゆきたい衝動にかられた。実際、彼は…

村上春樹 「風の歌を聴け」

「でも結局はみんな死ぬ。」僕は試しにそう言ってみた。「そりゃそうさ。みんないつかは死ぬ。でもね、それまでに50年は生きなきゃならんし、いろんなことを考えながら50年生きるのは、はっきり言って何も考えずに5千年生きるよりずっと疲れる。そうだろ?」

ヘルマン・ヘッセ 「車輪の下」

学校の教師は自分の組に、ひとりの天才を持つより、十人の折り紙つきのとんまを持ちたがるものである。よく考えてみると、それももっともである。教師の役目は、常軌を逸した人間ではなくて、よきラテン語通、よき計算家、堅気な人間を作りあげる点にあるの…

ヘルマン・ヘッセ 「車輪の下」

先生たちはいつも、死んだ生徒を生きている生徒に対するとはまったく違った目で見るものである。死んだ生徒に対すると、先生たちはふだんはたえず平気で傷つけている一つ一つの生命や、青春のとうとさや、取り返しがたさをしばしのあいだ強く感ずるのである…

シモーヌ・ヴェイユ 「シモーヌ・ヴェイユ詩集」

星 夜 遠くの空を満たして燃えている星たちよ、いつも凍るように冷たく何も見ずに黙ってめぐる星たちよ、お前たちは昨日の日々をわれわれの心の外へと引き出し、お前たちはわれわれの同意なしにわれわれを明日へと投げる。そしてわれわれは嘆き悲しむ、だが…

カヴァフィス 「カヴァフィス全詩集 第二版」

忘却 温室に閉じこめられたガラス・ケースの中の花たちは 陽の輝かしさを忘れ露けき涼風の吹き過ぎ行く心地を忘れている。 中井久夫 訳

カヴァフィス 「カヴァフィス全詩集 第二版」

九時から 十二時半。九時からの時間の早さ。明かりを点けてここに座ったのは九時。本も読まず、口も開かずにずっと座っていた。家の中は私独り。誰に話しかけろというんだ? 九時に明かりを点けた時から、若かった私の身体の影が私に憑いて、思い出させた、過…

カヴァフィス 「カヴァフィス全詩集 第二版」

せめて出来るだけ 思いどおりに人生を創れなくとも、せめてやってみろ、出来るだけ、人生の品質を下げぬようにと。世間とは接触しすぎるな。動きすぎるな、話しすぎるな。 人生を広げ過ぎるな、引き廻すな、社交やパーティのくだらぬ日々に人生を曝し過ぎる…

カヴァフィス 「カヴァフィス全詩集 第二版」

単調 単調な日が単調な日を追う。どこも違わぬ日。違わぬことが来る。また来る。違わない瞬間が我等を捉え、放つ。 ひと月にひと月がつづく。何が来るか ほぼ見通しずみ。昨日と同じ退屈ばかりが来て、明日が「明日」でなくなる。 中井久夫 訳

カヴァフィス 「カヴァフィス全詩集 第二版」

声 死者の声。理想化された いとしい声。死者のでも 死者同然に近寄れない私を去ったひとの声でも。 そのひとたちが話しかけてくることがある、夢の中で。深い思いに沈んでいる時には こちらのこころが声を聴く、たまさかながら。 ああ その音調。刹那 音調…

カヴァフィス 「カヴァフィス全詩集 第二版」

ろうそく これから来る日は われらの前に燃えさかるろうそく。生き生きと暖かく金色に輝くろうそくの列。 過ぎた日 過去に置き去った日は燃え尽きたろうそくの陰々滅々の列。いちばん手前のは まだくすぶっているが曲がって 溶けて もう冷たい 見たくない、…

ホセ・マルティ 「黄金時代」

自由というのは、すべての人が誠実に、嘘偽りなく考え、話す時に持つことができる権利です。ラテンアメリカでは、誠実であることも、考えることも、話すことも出来ないで来ました。考えていることを秘密にしたり、それを、思い切って言おうとしなかったりす…

レイチェル・カーソン 「沈黙の春」

今は専門化の時代だ。みんな自分の狭い専門の枠ばかりに首をつっこんで、全体がどうなるのか気がつかない。いやわざと考えようとしない人もいる。

レイチェル・カーソン 「沈黙の春」

私たちは、いつもはっきりと目にうつる直接の原因だけに気を奪われて、ほかのことは無視するのがふつうだ。明らかな形をとってあらわれてこないかぎり、いくらあぶないと言われても身に感じない。 青木簗一訳

E.B.ホワイト (レイチェル・カーソン「沈黙の春」より)

私は、人類にたいした希望を寄せていない。人間は、かしこすぎるあまり、かえってみずから禍いをまねく。自然を相手にするときには、自然をねじふせて自分の言いなりにしようとする。私たちみんなの住んでいるこの惑星にもう少し愛情をもち、疑心暗鬼や暴君…

ナンシー・ウッド 「今日は死ぬのにもってこいの日」

たくさんの冬を わたしは生きてきた、 終わりない夏と戯れ、疲れきった大地を 最初の雪が降ってきて覆いつくした 時のそもそもの始まりから。 たくさんの冬 わたしは山々の頂きに水を捕らえて放さなかった、 月と太陽がみごとな円環を創り出した大地の始まり…

ナンシー・ウッド 「今日は死ぬのにもってこいの日」

この手で翼の折れた鳥をわたしは運んだものだ。この手で、太陽の下わたしはわたしの子どもたちに触れたものだ。この手で、わたしは生きた土の家を建てた。この手で、育ちゆくトウモロコシ畑を耕してきた。この手で、生きる術を学んだのと同じくらい、殺す術…

ナンシー・ウッド 「今日は死ぬのにもってこいの日」

私たちには、自分を偽ることなんてとてもできやしない。お金と所有が人を幸せにするなんてことを、信じるふりをして世を渡ることなど、どうしてできるだろう?口を開けば白人は、わたしたちにはもっと物が必要だと言う。しかし物を持てば、わたしたちはその…

五木寛之 「大河の一滴」

考えてみると十九世紀来、われわれはものすごく傲慢だった。その傲慢ななかで、ぼくたちは大きな過ちを犯しつづけてきたのではないでしょうか。ぼくたちは自分たちが地球上のことを全部わかるような気持ちになっていた。でも、本当にわかっていることはごく…

五木寛之 「大河の一滴」

人間はただ肉体として生きるだけでなく記憶のなかにも、そして人間関係のなかにも生きている。その人間の死が完成するまでにはやっぱり十ヶ月や一年ぐらいかかるのじゃないか。これがぼくのかたくなな考えです。 人間的な死ということを考えないで、科学的な…

トルストイ 「戦争と平和」第1部

〈生きている者と死んだ者をへだてている一線を思わせるこの線を一歩越えたら——不可思議と、苦悩と、死だ。そして、その向こうには何があるんだ?向こうにはだれがいるんだ?向こうの、この野原や、木や、太陽に照らされている屋根のかなたには?だれも知ら…

トルストイ 「戦争と平和」第1部

・・・ナポレオンの顔をまともに見つめながら、アンドレイは偉大さというものの小ささについて、だれも意義のわからない生というものの小ささについて、そしてまた、生きているものはだれひとりその意味がわからず、説明もできない死というものの、生以上の…

トルストイ 「戦争と平和」第3部

人間はだれでも自分の個人的な目的をとげるために、自由を行使して、自分のために生きており、自分はこれこれの行為をしたり、あるいは、しなかったりすることができると、心底から感じている。ところが、その人間がそれをするとたちまち、時間の流れのある…

トルストイ 「戦争と平和」第4部

捕虜になって、収容所で、ピエールは頭ではなく、自分の全存在によって、生命によって知った——人間は幸福のために創られているのだ、幸福は自分自身のなかに、自然な人間的欲求を満足させることのなかにあるのだ、そして、すべての不幸は不足ではなく、過剰…

トルストイ 「戦争と平和」あとがき

・・・我々の最大の自由と最大の不自由の条件を観察してみると、我々の行為が抽象的であればあるほど、したがって、他人の行為との結び付きが少なければ少ないほど、それは自由であり、逆に、我々の行為が他人と結び付いていればいるほど、不自由だというこ…

L・ヴァン・デル・ポスト 「アフリカの黒い瞳」

どうもわれわれは時間の意味を誤用し、完全に誤解していると思うのです。われわれのヨーロッパ的時間概念は浅薄で未熟であり、時間の充全の本性を無視し、それに対して無知であり、われわれのトラブルの若干は直接この無知に起因しているように思われます。…

L・ヴァン・デル・ポスト 「アフリカの黒い瞳」

わたしたちは人間の出来事のなかの生得の生ける有機的な時間を活用しようとしないのですから、せっかくの宝も絶えまなくもちぐされとなる状態なのです。わたしたちはできもしないのに性急な解決を強行しようとし、明日にならねば生まれてこぬものを、今日産…

L・ヴァン・デル・ポスト 「アフリカの黒い瞳」

わたしがこれまで会ったなかで、最も純朴かつ賢明なアフリカの年老いたハンターが、かつてわたしに話してくれたことがございました。「アフリカの白人と黒人との違いは、白人は『所持しており』、黒人は『存在している』ところにあるのだ」。一言で言えばこ…

ビクター・マイヤー=ショーンベルガー ケネス・クキエ 「ビッグデータの正体」第1章

人間の社会は、これまで何千年にもわたり人間の行動を解明し、おかしなことをしないように常に目を光らせてきた。しかし、コンピュータのアルゴリズムは何をしでかすかわからない。コンピュータ時代に入って当局者は、プライバシー侵害の脅威を感じ取り、個…

ビクター・マイヤー=ショーンベルガー ケネス・クキエ 「ビッグデータの正体」第2章

あるコミュニティ内で多くの接点を持つ人がいなくなると、残った人々の交流は低下するものの、交流自体が止まることはない。一方、あるコミュニティの外部に接点を持つ人がいなくなると、残った人々はまるでコミュニティが崩壊してしまったかのように、突如…

ビクター・マイヤー=ショーンベルガー ケネス・クキエ 「ビッグデータの正体」第4章

ビッグデータの時代が成熟すれば、相関分析による新たな洞察力が生まれ、予測の効果が高まる。過去には見えなかったつながりが見えはじめ、どれほど努力しても把握しきれなかった技術や社会の複雑な力学が把握できるようになる。何より重要なのは、相関を使…

ビクター・マイヤー=ショーンベルガー ケネス・クキエ 「ビッグデータの正体」第8章

これまでのようにプロファイリングを実施するにせよ、差別的な側面をなくし、もっと高度に、個人単位で実行できるようになる。それがビッグデータに期待できるメリットだ。そう言われると、あくまで良からぬ行為の防止が狙いなら、受け入れてもよさそうな気…

ビクター・マイヤー=ショーンベルガー ケネス・クキエ 「ビッグデータの正体」第9章 第10章

原子力からバイオまで多くの分野に言えることだが、人類は最初にツールを作り出し、やがてそれが我々に害をもたらしかねないことに気付く。その後、ようやく安全確保の仕組みづくりに乗り出す。ビッグデータも、絶対的な解決策のない難題をいずれ我々に突き…

中野剛志 「グローバリズムが世界を滅ぼす」より

ちなみに、新自由主義を採用すると、不思議なことに政権が長続きする。たとえばサッチャー政権、レーガン政権、小泉政権です。格差を生み、弱者を増やす新自由主義の政権は、一見、国民の支持を得られずに短命で終わるように思われます。しかし、妙なことに…

エマニュエル・トッド 「グローバリズムが世界を滅ぼす」より

自由貿易が生み出す根本の問題は、経済活動の実践の仕方である前に、一つのイデオロギーです。どういうことかというと、企業が、自分たちは国内市場のために生産するのではなく、外部市場のために生産するのだという考えに傾いていくのです。 こうした状況で…

リルケ 「リルケ全集第4巻」

夜の散歩 何ものも比較することはできない。なぜならそれ自身とだけで全体でないものとは何だろう、そして発言され得るものとは。私たちは何ものをも名づけないで ただ耐えていれば了解し合うことができる。そこでは輝きがそしてあそこで眼差しが、おそらく…

リルケ 「リルケ全集第3巻」

別れを告げよう、ふたつの星のように 別れを告げよう、ふたつの星のように。距離で自らの存在を確かめ もっとも遠いもので自らを認識する、そういう近さでもあるあの圧倒的な夜の空間に分け隔てられた ふたつの星のように。 小林栄三郎 訳

リルケ 「リルケ全集第3巻」

海の歌 カプリ、ピッコラ・マリナ 海から吹いてくる太古の風、夜の海風、—— おまえは 誰のところにも吹いてくるのではない、誰か目覚めているものがあるならば、どのように おまえに耐えうるものかを知らねばならぬだろう。 海から吹いてくる太古の風、それ…

リルケ 「リルケ全集第3巻」

錬金術師 奇妙な笑いをうかべ 実験室の彼はやや落ちついて煙をあげているフラスコを押しやった。いとも高貴なものが フラスコのなかに生ずるにはなお なにを必要としたか いま 彼は知った。 彼は時間を必要としたのだ。数千年をおのれと 煮えたつフラスコと…

リルケ 「リルケ全集第3巻」

詩人 時間よ、おまえは 私から遠のいていく。おまえの羽ばたきが 私に傷を負わすのだ。いまは孤独、私の口を 私の夜をそして私の昼を 私はどうしたらいいのか? 私には 恋人もいなければ 家もない私の生きていく場所もない。すべての事物に 私が着手すると、…

リルケ 「リルケ全集第2巻」

厳粛な時 いまこの世のどこかで泣いているひと わけもなくこの世で泣いているひとは わたしのために泣いている。 いまこの夜のどこかで笑っているひと わけもなくこの夜に笑っているひとは わたしを笑っている。 いまこの世のどこかであるいているひと わけ…

チャールズ・A・リンドバーグ 「翼よ、あれがパリの灯だ」

私はついにパリ途上の、最初の短い海辺の上空にただひとりとなった。海面はおだやかである。水面の油のようになめらかな輝きの下には、少しもうごきらしいものは見えない。コネチカット川の岸まではわずかに三十五マイルだが、私はいままでこんな大きな川を…

チャールズ・A・リンドバーグ 「翼よ、あれがパリの灯だ」

単独で飛行するのは、なんと得るところが多いことか! 私は、父が何年か前、他人を頼りすぎることに対して戒めてくれたのがいまわかった。父はミネソタの古い移住者のことばをよく引用して教えたものだ——「ひとりはひとり、ふたりになると半人前、三人ではゼ…

チャールズ・A・リンドバーグ 「翼よ、あれがパリの灯だ」

果てしない水平線と無限の水のひろがりを前方に見ながら、私は改めてこんな飛行を企てた私の思い上がりに、いまさらのように驚く。私は陸地を見捨てて、いま、人間によって発明された最ももろい乗物に乗って、海洋へと向かっているのだ。どうして私は、揺れ…

チャールズ・A・リンドバーグ 「翼よ、あれがパリの灯だ」

私の目には、操縦席の闇のなかの変化を感じる。窓の外を見る。あれが同じ星だろうか?これは同じ空だろうか?なんという輝かしさだ!なんという明るさだ!やっと到達した安全!輝き、明るさ、安全だって?しかしこれは、私が出発した同じ地上の時間とつなが…