トルストイ「トルストイの言葉」
過去を思い出したり未来を想像したりする能力がわれわれに与えられたのは、それらに対する考察によって、現在の行為をより一層的確に決定するためであって、決して過去を哀惜したり、未来の準備をしたり、させたりするためではない。 (人生の道)
小沼文彦 訳編
トルストイ「トルストイの言葉」
やがて私の行為は、それがどんな行為であっても、おそかれ早かれ、すべて忘れられてしまい、そしてこの私という存在も、完全に消滅してしまうのだ。それなのに、なんであくせくするのだろう?この事実にどうして人間は、目をつぶって生きて行くことができるのであろう?実に驚くべきことではないか!そうだ、われわれが生きることができるのは、この世の生に酔いしれているあいだだけである。だが、そうした陶酔からさめるが早いか、それが一から十まで欺瞞であり、愚劣きわまる迷妄であるにすぎないことを、認めないわけにはいかないのだ!すなわち、この意味においては、この世の人生にはおもしろいことや、おかしなことは、なにひとつないのである。ただもう残酷で、愚劣なだけなのだ。 (懺悔)
小沼文彦 訳編
トルストイ「トルストイの言葉」
いわゆる人間の顔の美しさは、もっぱらその微笑の中にあるように私には思えるーーもしも微笑によって顔に魅力が加わるなら、その顔はすばらしい顔である。もしも微笑で変化しなければ、その顔は平凡な顔だ。もしも微笑によってそこなわれるならば、その顔はみにくい顔である。 (幼年時代)
小沼文彦 訳編
トルストイ「トルストイの言葉」
人間は有頂天なときほどエゴイストになることはない。そんなときには、世界じゅうに自分ほどすばらしくておもしろい人間はいないような気がするものである。 (コサック)
小沼文彦 訳編
トルストイ「トルストイの言葉」
幸福は人間をエゴイストにする。 (生ける屍)
小沼文彦 訳編
トルストイ「トルストイの言葉」
他人に対して嘘をつくことは悪いことだ。しかし自分自身に対して嘘をつくことのほうが、それよりもさらに悪い。こうした嘘が特に有害なのは、他人に嘘をつく場合には、それでも他人がその嘘をあばいてくれるが、自分に嘘をつく場合には、誰もその嘘をあばいてくれる者がいないからである。(懺悔)
小沼文彦 訳編
トルストイ「トルストイの言葉」
ひとりの人間が、不必要なものをたくさん抱えていれば、ほかのたくさんの人間が、必要なものにそれだけ不自由することになる。 (人生の道)
小沼文彦 訳編
トルストイ「トルストイの言葉」
人々はいかに話すべきかを学習する。しかし、なによりも大切な学問は、どんな場合にどんなふうにして沈黙をまもるべきかを知ることである。
(人生の道)
小沼文彦 訳編
トルストイ「トルストイの言葉」
私たちは、装塡された銃は慎重に扱わなければならないことを知っている。それなのに、言葉も同様に慎重に扱わなければならないことを知ろうとはしない。言葉は、人を殺すことができるばかりではなく、殺人よりももっと仕末のわるい悪をなすこともできるのである。 (人生の道)
小沼文彦 訳編
トルストイ「トルストイの言葉」
人間は言葉によって思索する。言葉がなければ思想もない。思想こそは、私個人、そしてまた全人類の生活を動かす原動力である。したがって思想をふまじめに扱うことは、大きな罪である。そして「言葉を殺す」ことは「人間を殺す」ことにも劣らない大罪である。 (書簡)
小沼文彦 訳編
トルストイ「トルストイの言葉」
子供はおとなよりも聡明である。子供は、人間に地位や身分のあることを理解しない。子供は、自分の内部に住んでいる霊と同じ霊が、どの人間の内部にも住んでいることを、心から感じ取るのである。
(人生の道)
小沼文彦 訳編
モーム「サミング・アップ」
もしかすると我々は善に、人生の理由や説明ではなく、人生の悪を軽減する役目をしてもらうのかもしれない。このお粗末な宇宙では、我々は揺籠から墓場まで悪に取り囲まれているのだが、善は挑戦でも答えでもなく、我々が独立した存在であるのを確認するのに役立つであろう。善は運命の悲劇的な愚劣さに対するユーモアの仕返しである。善は美と違い、完璧であっても退屈なものとはならない。また、美より勝っているのは、時間が経っても喜びが色褪せぬことだ。
行方昭夫 訳